しつけの概要

 

しつけの概要について(Wikiより参照)

しつけとは、教育する事と言い換えられますが、教育一般よりも生活全般に根ざした、更に根源的な事柄にまつわる部分を教えていく行為を指します。

特に言葉が理解出来ない幼児の教育に関しては、様々な態度で接する事で「やって良い事(=誉められる)」「やってはいけない事(=罰せられる)」の区別をつけさせる事でもあります。

伝統的な躾の手法では、罰の中に体罰を含むこともあるため、近年ではその体罰を持って「児童虐待ではないか?」とする問題提起も成されています。

勿論、躾の中には体罰に拠らない方法もあり、きちんとできたら誉めるなどして、行動をより積極的に行わせるようにする様式も見られるようになりました。

罰するにしても、口頭で叱るという様式もしつけには含まれています。

特にしつけは地域文化に即して様々な手法が体系化されており、民俗学・文化人類学的にこれらを研究する人もあり、中には宗教的な位置付け等から、伝統として伝えられている物も存在し、それら訓練の結果は、社会の維持に役立っている事例も見られます。


躾をする事は、自由に伸び伸びと育てる(または放任してしまう)事の対極にあると考えられています。

一定の厳しさをもって育てていく事を含んでおり、体罰を科す場合も見られ、これらが児童虐待に発展する事例も見受けられる事もあるため、躾行為そのものが児童虐待だと考える向きもでてきたようです。

しかし、いずれ躾がなければ人間としての存在価値にも関わるとの考え方もあるため、児童教育における躾は、社会的な道徳観念やマナーが不足しているとされる現代において、その重要性を再認識する人も存在します。

ただしあらゆる面で力の弱い子どもの側からすれば、「しつけ」と称した親からの一方的な理不尽な扱いへの抗弁が難しいため、行使には極めて慎重さを要するともいえます。

威圧的な態度や子どもの言い分を聞かないしつけでは、子どもは表面上はそれに従いながらも、内心ではその理不尽さに反発する傾向もあり、特にしつける側が道義的に見て正しくなかったり、あるいは明らかに他の道徳などと矛盾する内容のしつけは、子ども当人にとって混乱するか内心反発して鬱憤を溜めるかのどちらかになってしまいます。

このため、少なくとも公正で「他のルール」に反せず一貫性を持つことが多くの育児書で薦められています。

「しつけ」と混同し、自分の感情に身を任せた虐待や暴力をする親や教師も存在しています。

ニュースなどで度々報じられている児童虐待事件では、逮捕された加害者が「しつけだった」として容疑を否認していますが、これら加害事件では理由の如何ではなく行為の如何で罪が問われているため、実際こういった抗弁は意味を成しません。

なおこれらの躾は、様々な社会規範(ルール)に則り各々が体系化されていますが、これを総合的に家庭内で教えていくことを家庭教育ともいいます。


現代の日本では、危険であるために児童が悪戯すべきではないマッチ・ライター・煙草・ナイフ等の刃物は、児童の目に触れない場所に保管する様式が一般的です。

しかしその一方、児童の教育上、好ましくない情報を含むテレビ番組や雑誌類のメディア・媒体は、あまり注意される事は少ない現状にあります。

これらは危険な物品から遠ざけて置いて、怪我さえなければ・病気にかからなければ、あとは道徳的なものは教育機関で教えてもらえるとする考え方では在りますが、近年においては教育機関が道徳意識の教育を放棄し、知識の習得にのみ重きを置く時代にあっては、些か具合の悪い状況に陥っていると考える識者もあります。

なお各種メディアから受ける精神的影響に関しては、米国を中心とした海外で問題視されるようになり、これに付随してテレビ番組からゲームや漫画等と言った、児童向け娯楽文化に注目する教育研究者もありますが、対応は始まったばかりです。