
修・破・離(しゅはり)
世阿弥が残した言葉と言われていますが、能力を磨いたり、高めたりする段階を表しています。
守・破・離とも書きますが、武道・華道や能楽などの「道」を極めるための道しるべとしてこの3段階を主軸に考えられています。
「修(守)」とは、「基本」(師の教え)を意味しています。
動きや作法などには、上手くいくための基本(基礎)が必要です。
我流では、見た目の形だけに囚われてしまい、正しい基本動作や基本姿勢、基本作法などを身に付けることが難しくなってしまうので、正しい感覚を捉えることができません。
まず、この「基本」をしっかりと身に付けることが大切だということです。
「破」とは、しっかりと基本を身に付けた上で、自分なりの発想や工夫を重ね、基本の殻を破ることです。
「離」とは、「破」に努力と鍛錬を積み重ね、発展させながら自分独自の境地を築き上げることを意味します。
この「修・破・離」の考え方は、様々な物事に当てはめることができますが、元々武道や茶道のような「道」を究めるためのものですので、全ての物事に当てはめることはできません。
ですが、考え方としてスポーツや教育などでとても良い指針にもなりえます。
幼児期は人としての基礎が築かれる重要な時期です。
ここでは基礎とも言える「修」について少し考えていきたいと思います。
「修」がきちんとできなければ「破」も「離」もありません。
小さな根しか持たない木は大樹にはなれません。
大きな根を持つことで、大樹となることができます。
基礎が弱ければ、大きな建物を建てることはできません。
大きな建物を建てるには、その建物に見合った大きな基礎がなくてはならないのです。
どの分野でも、高みを目指すのなら、その高さに合った基礎が必要とも言えます。
ただ自由な発想をするだけでは、地についた形にしていくことは非常に困難です。
しっかりとした基礎があってこそ、自由な発想と工夫を発展させていくことが可能となるのです。
さらに時間をかけ、鍛錬と努力によって芯の通った自分だけのオリジナリティ(独自性・個性)あるものを作ることができます。
教育やスポーツなどであってもこの修・破・離の考えをもとにすることで、地についた太い柱のある形を築いていくことができます。
教育でも、愛情を注ぎ、人間としてのモラルを幼児期から教えていくことが大切です。(⇒しつけ)
人は、基本的に人と関わらずに生きていくことはできません。
誰からの愛情も受けずに育ってしまうと、愛情を感じることや与えることも難しくなり、家族や友人、周囲の人達との人間関係にも悪い影響が生じてしまいます。
人としてのモラルがなければ、人に迷惑をかけてしまったり、傷つけてしまったり、これもまた他人との関係に悪い影響が生じてしまいます。
愛情と人としてのモラルは、きちんと身に付けなければいけない基礎の一つと言えます。
子ども達も約束事が守れ、自分で良い悪いが判断できるようになることで、自由と明るい未来を手に入れることができます。※ただの放任は自由とは言えません。
人としての礎(修)を大きく育てることで、「破」と「離」をスムーズに進むことができ、人生をより豊かにすることができます。
幼児期は人としての礎を築く非常に大切な時期なので、その重要性をもっと多くの人達に認識していただきたいと考えています。