「教えずして教える」 はやし浩司先生の育児・教育指導
教育には教えようとして教える部分と、教えずして教える部分の二つがある。
たとえばアメリカ人の子どもでも、日本の幼稚園へ通うようになると、「私」と言うとき、自分の鼻先を指さす。(ふつうアメリカ人は親指で、自分の胸をさす。)
そこで調べてみると、小学生の全員は、自分の鼻先をさす。
年長児の大半も、自分の鼻先をさす。しかし年中児になると、それが乱れる。
つまりこの部分については、子どもは年中児から年長児にかけて、いつの間にか、教えられなくても教えられてしまうことになる。
これが教えずして教える部分の一つの例だが、こうした部分は無数にある。
よく誤解されるが、教えようとして教える部分より、実は、教えずして教える部分のほうが、はるかに多い。
どれくらいの割合かと言われれば、1対100、あるいは1対1000、さらにはもっと多いかしれない。
私たちは子どもの教育を考えるとき、教えようとして教える部分に夢中になり、この教えずして教えてしまう部分、あまりにも無関心すぎるのではないのか。
あるいは子どもというのは、「教えることで、どうにでもなる」と、錯覚しているのではないのか。
しかしむしろ子どもの教育にとって重要なのは、この「教えずして教える」部分である。
たとえばこの日本で教育を受けていると、ひとにぎりのエリートを生み出す一方で、大半の子どもたちは、いわゆる「もの言わぬ従順な民」へと育てあげられる。だれが育てるというのでもない。
受験競争という人間選別を経る過程で、勝ち残った子どもは、必要以上にエリート意識をもち、そうでない子どもは、自らに「ダメ人間」のレッテルをはっていく。
先日も中学生たちに、「君たちも、Mさん(宇宙飛行士)が言っているように、宇宙飛行士になるという夢をもったらどうか」と言ったときのこと。全員(10人)がこう言った。
「どうせ、なれないもんね」と。
「夢をもて」と教えても、他方で子どもたちは別のところで、別のことを学んでしまう。
さてあなたは今、子どもに何を教えているだろうか。あるいは何を教えていないだろうか。
そして子どもは、あなたから何を教えられて学び、教えられなくても何を学んでいるだろうか。
それを少しだけここで考えてみてほしい。
●遠慮 | ●見方を変える |
●追えば追うほど、心を削る | ●子どものおねしょとストレス |
●遅れたら、「核」づくり | ●男らしさ、女らしさ |
●子どもの理性 | ●親子とは |
●教えずして教える | ●ユニバーサルスタジオ |
●親のうしろ姿 | ●大声で笑わせる |
●おどしは理性の敵 | ●子どもへの禁止命令 |
●未来を楽しみにさせる | ●依存心と自立心 |
●本当の問題 | ●あるがままを受け入れる |
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【はやし浩司先生のプロフィール】
1947年岐阜県生まれ。
金沢大学法文学部法学科卒業。
日豪経済員会給費留学生として、オーストラリアメルボン大学ロースクール(法学院)研究生、三井物産社員、幼稚園教師を経て、浜松市にてBW(ブレイン・ワーク)教室、幼児研究所を設立。
独自の哲学・教育論をもとに幼児教育の実践を行っています。
現在は教育評論家として、ホームページやブログ、メルマガ、ユーチューブ等を利用しながら執筆活動に専念しています。
●著書に「子育て最前線のあなたへ」(中日新聞社)、「おかしな時代のまともな子育て論」(リヨン社・2002年3月発行)、「ドラえもん野比家の子育て論」(創芸社)など、30冊余り。
うち4冊は中国語にも翻訳出版されています。
「まなぶくん幼児教室」(学研)、「ハローワールド」(創刊企画・学研)などの無数の市販教材も手がけ、東洋医学、宗教論の著書も計8冊出版されています。
●教育評論家、現在浜松市伝馬町でBW教室主催。
●現在は、インターネットを中心に活動中。
メルマガ・オブ・ザ・イヤー受賞(08)、
電子マガジン読者数・計3000人(09)、ほか。
「BW公開教室」を、HP上にて、公開中。
(HPへは、「はやし浩司」で検索、「最前線の子育て論byはやし浩司」より。)
過去の代表的な著書
・・・などなど30冊余り出版されています。