「スラスラ読んでも意味がない」 はやし浩司先生の育児・教育指導
思考と情報の加工は、まったく別のもの。
たとえばこんな会話。A「今度の休みにはどこかへ行くの?」、B「そうだな。伊豆へでも行こうか」、A「伊豆なら、下田まで足をのばしたら」、B「それはいい……」と。
このAとBは、一見考えているように見えるが、その実、何も考えていない。脳の表層部分に蓄えられた情報を、そのつど加工して外に出しているにすぎない。しかしふつうの人は、こういうのを「思考」と誤解している。錯覚と言ってもよいかもしれない。
思考にはある種の苦痛がともなう。それは複雑な数学の問題を解くような苦痛である。だからたいていの人は、無意識のうちにも、できるだけ思考するのを避けようとする。あるいは他人の思考をそのまま受け入れてしまう人がいる。カルト教団の信者がそうである。徹底した上意下達方式のもと、「上」からの思想をそのまま脳の中に注入され、彼らはそれを自分の思想と錯覚している。
それはちょうどわけもわからず、掛け算の九九を暗記している幼稚園児のようなものである。掛け算の九九をペラペラと口にすると、一見賢い子どもに見えるが、その実何もわかっていない。何も考えていない。いわんや算数ができる子どもということにはならない。
そういう視点で子どもの世界をのぞくと、また別の見方ができる。たとえば年中児にもなると、本をスラスラと読む子どもが現れる。一見、国語力のある子どもに見えるが、その実、その本の内容はほとんど理解していない。ただ文字を音に変えているだけ。
あるいはたいへんもの知りの子どもがいたとする。口だけは達者で、まさにああ言えば、こう言う式の反論もしてくる。しかしだからといって、その子どもは頭のよい子ということにはならない。賢い子どもということにもならない。もっと言えば、情報が多いからといって、思考力があるということにはならない。
先にも書いたように、思考するということは、それ自体たいへんなことである。そして思考をしたからといって、何かの「考え」にたどりつくことができるとはかぎらない。それはちょうど砂場の中で、小さな宝石を見つける作業に似ている。まさに見つかればもうけものという世界。だからこれまたたいていの人は、「考えるだけムダ」と考える前に、考えることをやめてしまう。
話は飛躍するが、日本の教育の最大の欠陥は、「思考」と「情報」を混同し、情報を与えることを教育と誤解している点である。このことは日本という島国を一歩離れてみるとすぐわかることだが、それについてはまた別のところで書く。
はやし浩司先生の育児・幼児教育コーナー6
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【はやし浩司先生のプロフィール】
1947年岐阜県生まれ。
金沢大学法文学部法学科卒業。
日豪経済員会給費留学生として、オーストラリアメルボン大学ロースクール(法学院)研究生、三井物産社員、幼稚園教師を経て、浜松市にてBW(ブレイン・ワーク)教室、幼児研究所を設立。
独自の哲学・教育論をもとに幼児教育の実践を行っています。
現在は教育評論家として、ホームページやブログ、メルマガ、ユーチューブ等を利用しながら執筆活動に専念しています。
●著書に「子育て最前線のあなたへ」(中日新聞社)、「おかしな時代のまともな子育て論」(リヨン社・2002年3月発行)、「ドラえもん野比家の子育て論」(創芸社)など、30冊余り。
うち4冊は中国語にも翻訳出版されています。
「まなぶくん幼児教室」(学研)、「ハローワールド」(創刊企画・学研)などの無数の市販教材も手がけ、東洋医学、宗教論の著書も計8冊出版されています。
●教育評論家、現在浜松市伝馬町でBW教室主催。
●現在は、インターネットを中心に活動中。
メルマガ・オブ・ザ・イヤー受賞(08)、
電子マガジン読者数・計3000人(09)、ほか。
「BW公開教室」を、HP上にて、公開中。
(HPへは、「はやし浩司」で検索、「最前線の子育て論byはやし浩司」より。)
過去の代表的な著書
・・・などなど30冊余り出版されています。