
適切な幼児教育は後の人間形成において大変重要であると考えていますが注意していただきたいことがあります。
幼児教育は完璧な育児や教育を推奨するものではないということです。
・愛情が第一を忘れない
・他の子どもと比較をしない
・完璧主義にならない
・結果を期待しすぎない
・ゆったりとした心を持つ
子どもへの過剰な期待は親子共に大きなストレスになる危険性あります。
ゆったりと構え、少しくらい上手くいかなくても「まぁ、いっか。」に考えられることが幼児教育を続けられるポイントになります。
「純粋な心」について はやし浩司先生の子育て随筆
私は、ごく最近まで、気がつかなかった。しかし子どもに、これほどまでの力があったとは!
子どもには、おとなの心を洗う力がある。子どもと接しながら、心を開いていると、そのままスーッと、こちらの心が、晴れ晴れしてくるのがわかる。そのとたん、こちらが感じている邪悪な心が、吹き飛んでしまう。
その力は、恐らく、どんな高徳な聖職者がもっている力よりも、神聖で、強力ではないのか……? ウソだと思うなら、あなたも一度、童心にかえって、子どもたちと遊んでみるとよい。たったそれだけのことで、あなたは、あなたが忘れかけていた何かを、思い出すはず。
そのとき、一つのコツがある。
決して自分を、子どもたちに対して、「上」だとか、「親」だとか、思ってはいけない。友として、対等の立場に立つ。あなたが優越感を覚えたとたん、子どもは、そのまま心を閉ざしてしまう。そうなれば、いくらいっしょに遊んでも、子どもはあなたに対して、心を開くことはない。開くことがなければ、あなたの心が、洗われることもない。
ところで私には、こんな不思議なことが起きている。
どこかで子どもに会ったとする。そういうとき、その子どもが、私を見て、にっこり笑ったり、手をふったりするのである。もちろん見知らぬ子どもである。
たとえば私が自転車に乗っていて、車とすれちがったとする。そのとき後部座席かどこかに子どもが座っていたとする。その子どもと視線があうと、その子どもが、私に向って手をふる。
子どもというのは、みな、そうするものだとばかり思っていた。が、ワイフに聞くと、「ふつう、子どもは、そんなこと、しないわよ」と。
私はもともと心を開くことが苦手な男である。しかし相手が子どもだと、自然な形で、心を開くことができる。こういう仕事を、34年近くもしてきた。そのせいだと思う。目と目があった瞬間に、子どものほうが、それがわかるのではないか。
そして最近、わかったことは、つぎのこと。
子どもと接したあと、ふつうのおとなのと話したりすると、その人の心のにごりが、よくわかる。当然と言えば当然ということになるが、その「ちがい」がわかるということは、そのとき、私の心が、子どもたちによって洗われていたということになる。
よく誤解されるが、(本当によく誤解されるが)、子どもぽいということは、決して恥ずべきことではない。また子どもぽいということは、未熟で幼稚という意味ではない。
子どもぽいというのは、心が純粋で、清純であるという意味である。人は、おとなになるにつれて、知識や経験を身につけるが、同時に、子どもらしい純粋で、清純な心をなくす。子どもに接していると、それを取りもどすことができる。
さあ、あなたも勇気を出して、童心にかえってみよう。子どもと心を開いて、遊んでみよう。
さあ、あなたも勇気を出して、子どもに心を開いてみよう。かっこうつけたり、威張ったりしてはいけない。
そのあと、あなたも、私がここで言っている意味が、わかるはず。
【追記】
今週は、お遊びとして、粘土で、ケーキづくりをした。子どもたちと、いろいろなケーキを作った。ワイワイと騒ぎながら作っていると、我を忘れてしまう。(実際には、参観にきている母親たちの視線を意識するため、途中でやめてしまう。サボっているように思われるのは、つらい。)
しかし驚いたのは、こんなのを作った子ども(小一男児)がいたこと。
その子どもは、緑と青い粘土で、細い紐(ひも)状のものを作った。何をするのかと思って見ていると、おもちゃの包丁で、それをななめにきざみ始めた。「それは何?」と聞くと、「ネギ!」と。
つぎに黄色い粘土を、幾重にも重ねて、小さなボール状のものを作った。そしてそれも、同じようにおもちゃの包丁で、切り始めた。「それは?」と聞くと、「タマネギ!」と。
こうしていくつか食材を用意したあと、それをおもちゃの皿に盛りつけ始めた。
黄色で、細い紐のようなものもある。そこでさらに、「それは何?」と聞くと、「先生、これはね、からしマヨネーズだよ」と。
さいごに(それ)ができあがったので、「何ができたの?」と声をかけると、「冷やし中華」と答えた。
それを見て、ほかの子どもたちが、「おいしそう」と言って笑った。私も、「食べられそう」と言って笑った。
子どもの純粋さに触れるというのは、そういうことをいう。
【追記2】
ここまで書いてワイフの読んで聞かせると、ワイフがこう言った。
「あんた、同年代の男の人と、会話をしたくないの?」と。
そこでハタと私は考えこんでしまった。
私は、女性や子どもと話すのは得意だ。それに好きだ。しかし男性は、苦手。講演でも、女性が多いときは、のりまくって話をすることができる。しかし男性が多いと、とたんに緊張してしまう。
何年か前、市内のRクラブで講演をさせてもらったことがある。聴衆は、全員、男性だった。そのときのこと。講演ではめったに、あがったことのない私だったが、そのときだけは、あがってしまった。
自分でも何を話しているかわからない状態で、講演が終わってしまった。
私「ぼくは、酒を飲めないから……」
ワ「それがどうしたの?」
私「だから、男たちとは、心を開いて、話しあうことができないよ」
ワ「お酒なんか、関係ないでしょ」と。
考えてみれば、これは私の欠陥かもしれない。だから私がここに書いたことが、絶対に正しいとは思わない。……ということも、少しは考えなければいけないのか。しかし今さら、酒を飲めるようになれと言われても……。さてさて、どうしたものか?
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【はやし浩司先生のプロフィール】
1947年岐阜県生まれ。
金沢大学法文学部法学科卒業。
日豪経済員会給費留学生として、オーストラリアメルボン大学ロースクール(法学院)研究生、三井物産社員、幼稚園教師を経て、浜松市にてBW(ブレイン・ワーク)教室、幼児研究所を設立。
独自の哲学・教育論をもとに幼児教育の実践を行っています。
現在は教育評論家として、ホームページやブログ、メルマガ、ユーチューブ等を利用しながら執筆活動に専念しています。
●著書に「子育て最前線のあなたへ」(中日新聞社)、「おかしな時代のまともな子育て論」(リヨン社・2002年3月発行)、「ドラえもん野比家の子育て論」(創芸社)など、30冊余り。
うち4冊は中国語にも翻訳出版されています。
「まなぶくん幼児教室」(学研)、「ハローワールド」(創刊企画・学研)などの無数の市販教材も手がけ、東洋医学、宗教論の著書も計8冊出版されています。
●教育評論家、現在浜松市伝馬町でBW教室主催。
●現在は、インターネットを中心に活動中。
メルマガ・オブ・ザ・イヤー受賞(08)、
電子マガジン読者数・計3000人(09)、ほか。
「BW公開教室」を、HP上にて、公開中。
(HPへは、「はやし浩司」で検索、「最前線の子育て論byはやし浩司」より。)
過去の代表的な著書
・・・などなど30冊余り出版されています。