
適切な幼児教育は後の人間形成において大変重要であると考えていますが注意していただきたいことがあります。
幼児教育は完璧な育児や教育を推奨するものではないということです。
・愛情が第一を忘れない
・他の子どもと比較をしない
・完璧主義にならない
・結果を期待しすぎない
・ゆったりとした心を持つ
子どもへの過剰な期待は親子共に大きなストレスになる危険性あります。
ゆったりと構え、少しくらい上手くいかなくても「まぁ、いっか。」に考えられることが幼児教育を続けられるポイントになります。
「Depression(落ちこみ)」について はやし浩司先生の子育て随筆
どうして人は、ときとして、落ちこむのか。
どうして人は、ときとして、希望をなくし、自信をなくすのか。
どうして人は、ときとして、前途を悲観し、絶望するのか。
何もかも、むなしい。何かも、いやになる。生きて、息をすることさえ、めんどうになる。わずらわしいと言えば、人間関係ほど、わずらわしいものは、ない。同じ人間なのに……。その人間がいなければ、もっとさみしいはずなのに……。どうして人は、その関係に、悩み、苦しむのか。
この世の中は、いやなことばかり。国際情勢も不安だし、日本の経済もおかしい。おまけに地球の温暖化。この先、10年後は、どうなるんだろう。100年後は、どうなるんだろう。私、個人のことについて言えば、今年、私は、どうなるんだろう。来年、私は、どうなるんだろう。
私のことなら、まだよい。しかし私の息子たちや、その孫は、どうなるんだろう。
考えれば考えるほど、ゆううつになるだけ。心が重くなるだけ。何も問題はないはずのに、しかしまわりは、問題だらけ。とにかく健康だけはと思ってみても、その健康も、どうもあてにならない。
自分が、かぎりなく小さく見える。自分のしていることが、かぎりなく小さく見える。何かしら、ムダなことを、懸命にしているだけ。そんな感じすらする。私は本当に、道の真ん中にいるのだろうか。私は本当に、まっすぐ前に向って、歩いているのだろうか。
まわりは、真っ暗。その上、地図もない。こんな世界を、私は、どうやって歩いていったらよいのだ。
弱音を吐いたら、私の負け。しかしそういう私自身が、今にも崩れそうになる。いや、もう本当のところ、崩れてしまっている。この心の中を、スースーと通りぬける風が、その証拠。この空虚感が、その証拠。
だれかが、こうささやく。「浩司、もうやめろ。お前ごときが考えて、どうなる。だれがお前を相手にするか。だれも、お前なんか、相手にしない。世の中を見ろ。すべてがお前の手の届かないところで、動いている。なのに、どうしてお前は、ひとりで、いきがっているのか」と。
私は、もう、とっくの昔に、負けを認めた。仮にこの先、いくらがんばっても、小さな丘一つ、登れない。目の前には、巨大な山脈が連なっているというのに……。時間もない。能力もない。気力や知力も、このところ、どんどんと薄れている。
今夜、コタツの中で、思わず、私はワイフの手を握った。そうしたところで、どうにもならないことは、よくわかっている。何も、問題は、解決しない。しかし、今の私に、そうすること以外、何か、救いを求める方法があるのか。
ワイフはこう言う。「健康なんだから、それでいいじゃない」と。「あなたはもう、やれるだけのことをしたんだから、いいじゃない」と。
このさみしさは、いったい、どこからくるのか。懸命に生きながら、生きていることそのものが、つらい。この無力感。この虚脱感。
「明日になれば、また日は昇るよね」と私。「そうよ」とワイフ。こういうときは、早めに寝たほうがよい。今日もいろいろあった。疲れた。多分、そのせいだろう。今夜の私は、たしかに落ちこんでいる。
みなさん。今夜は、これで失礼します。おやすみなさい!
(040225)
【翌朝……】
音はない。遠くでカラスが鳴いた。しかしそれも、すぐ消えた。
目を開くと、うっすらと白い光。カーテンのふちから、朝日がもれている。
穏やかな朝。静かな朝。
心のざわめきはない。心をふさいでいた、重石(おもし)もない。
軽やかな朝。すがすがしい朝。ふと思い出すと、時計の音だけが、
どこか乾いた空気を、やさしく揺るがす。
その音に耳をすます。そう、今朝、私は、二男の夢を見た。
私のために、コーヒーをたててくれるという。
古いコーヒーミルをもってきて、それをクルクルと回していた。
「ぼくはコーヒーを飲まないよ」と言いかけたが、やめた。
やめて、二男を、両手で、右の肩にのせた。二男は、私の頭に手を回した。
小さな二男だった。年齢は、5歳くらいだっただろうか。3歳くらいだっただろうか。
不思議と、二男の肌のぬくもりを感じた。その二男が、こう言った。
「ぼく、今度、大学へ入るよ」と。それに答えて、私は、こう言った。
「大学はね、もっと、もっと、大きくなってから入るんだよ」と。
二男のぬくもりが消えたとき、目が覚めた。朝だった。暗い朝だった。
私はどこかひんやりする空気に顔をさらしながら、頭の下で手を組んだ。
「やっぱり、朝は来たんだ」と思った。思って、そのまま時間が過ぎるのを待った。
みなさん、おはようございます。今日も、元気で、がんばりましょう!
私たちの目的は、成功することではないのです。ころんでも、ころんでも、
ただひたすらめげないで、前に進むことです、……ね(スティーブンソン)。
とにかく、朝は、必ずやってくるのです。がんばりましょう!
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【はやし浩司先生のプロフィール】
1947年岐阜県生まれ。
金沢大学法文学部法学科卒業。
日豪経済員会給費留学生として、オーストラリアメルボン大学ロースクール(法学院)研究生、三井物産社員、幼稚園教師を経て、浜松市にてBW(ブレイン・ワーク)教室、幼児研究所を設立。
独自の哲学・教育論をもとに幼児教育の実践を行っています。
現在は教育評論家として、ホームページやブログ、メルマガ、ユーチューブ等を利用しながら執筆活動に専念しています。
●著書に「子育て最前線のあなたへ」(中日新聞社)、「おかしな時代のまともな子育て論」(リヨン社・2002年3月発行)、「ドラえもん野比家の子育て論」(創芸社)など、30冊余り。
うち4冊は中国語にも翻訳出版されています。
「まなぶくん幼児教室」(学研)、「ハローワールド」(創刊企画・学研)などの無数の市販教材も手がけ、東洋医学、宗教論の著書も計8冊出版されています。
●教育評論家、現在浜松市伝馬町でBW教室主催。
●現在は、インターネットを中心に活動中。
メルマガ・オブ・ザ・イヤー受賞(08)、
電子マガジン読者数・計3000人(09)、ほか。
「BW公開教室」を、HP上にて、公開中。
(HPへは、「はやし浩司」で検索、「最前線の子育て論byはやし浩司」より。)
過去の代表的な著書
・・・などなど30冊余り出版されています。