
適切な幼児教育は後の人間形成において大変重要であると考えていますが注意していただきたいことがあります。
幼児教育は完璧な育児や教育を推奨するものではないということです。
・愛情が第一を忘れない
・他の子どもと比較をしない
・完璧主義にならない
・結果を期待しすぎない
・ゆったりとした心を持つ
子どもへの過剰な期待は親子共に大きなストレスになる危険性あります。
ゆったりと構え、少しくらい上手くいかなくても「まぁ、いっか。」に考えられることが幼児教育を続けられるポイントになります。
「善玉家族意識、悪玉家族意識」について はやし浩司先生の子育て随筆
家族意識にも、善玉と、悪玉がある。(善玉親意識と、悪玉親意識については、前に書いた。)
家族のメンバーそれぞれに対して、人間として尊重しようとする意識を、善玉家族意識という。
反対に、「○○家」と、「家(け)」をつけて自分の家をことさら誇ってみたり、「代々……」とか何とか言って、その「形」にこだわるのを、悪玉家族意識という。
これは極端な例だが、こんなケースを考えてみよう。
その家には、代々とつづく家業があったとする。父親の代で、十代目になったとする。が、大きな問題が起きた。一人息子のX君が、「家業をつぎたくない。ぼくは別の道を行く」と言い出したのである。
このとき、親、なかんずく父親は、「家」と、「息子の意思」のどちらを、尊重するだろうか。父親は、大きな選択を迫られることになる。
つまりこのとき、X君の意思を尊重し、X君の夢や希望をかなえてやろう……そういう意味で、家族の心を大切にするのが、善玉家族意識ということになる。
一方、「家業」を重要視し、「家を守るのは、お前の役目だ」と、X君に迫るのを、悪玉家族意識という。
それぞれの家庭には、それぞれの事情があって、必ずしもどちらが正しいとか、まちがっているとかは言えない。しかし家族意識にも、二種類あるということ。とくに私たち日本人は、江戸時代の昔から、「家」については、特別な関心と、イデオロギー(特定の考え方の型)をもっている。
中には、個人よりも、「家」を大切にする人もいる。……というより、少なくない。それは多分に宗教的なもので、その人自身の心のよりどころになっている。だからそのタイプの人に、「家制度」を否定するような発言をすると、猛烈に反発する。
しかしものごとは、常識で考えてみたらよい。「家」によって、その人の身分が決まった江戸時代なら、いざ知らず。今は、もうそんなバカげた時代ではない。またそういう時代であってはいけない。そういう過去の愚劣な風習をひきずること自体、まちがっている。
……という私も、学生時代までは、かなり古風な考え方をしていた。その私が、ショックを受けた経験に、こんなことがある。
オーストラリアでの留学生活を終えて、日本に帰ってきてからしばらくのこと。メルボルンの校外に住んでいたR君から、こんな手紙をもらった。彼は少し収入がふえると、つぎつぎと、新しい家に移り住み、そのつど、住所を変えていた。「今度の住所は、ここだ。これが三番目の家だ」と。
それからも彼はたびたび家をかえたが、そのときですら、「R君は、まるでヤドカニみたいだ」と、私は思った。
そのことを知ったとき、それまでの私の感覚にはないことであっただけに、私は、ショックを受けた。「オーストラリア人にとって、家というのは、そういうものなのか」と。
……と書いても、今の若い人たちには、どうして私がショックを受けたか、理解できないだろうと思う。当時の、私の周辺に住んでいる人の中には、私の祖父母、父母含めてだが、だいたいにおいて、収入に応じて家をかえるという発想をする人は、いなかった。私のばあいも、そういうことを考えたことすら、なかった。
しかもR君のばあいは、より環境のよいところを求めて、そうしていた。15年ほど前、最後に遊びに行ったときは、居間から海が一望できる、小高い丘の上の家に住んでいた。つまり彼らにしてみれば、「家」は、ただの「箱」にすぎない。
そう、「家」など、ただの「箱」なのである。ケーキや、お菓子の入っている箱と、どこもちがわない。ちがうと思うのは、ただの観念。子どもが手にする、ゲームの世界の観念と同じ。どこもちがわない。
さらに日本人のばあい、自分の依存性をごまかすために、「家」を利用することもある。田舎のほうへ行くと、いまだに、「本屋」「新屋」「本家」「分家」という言葉も聞かれる。私が最初に「?」と思った事件に、こんなのがある。
幼稚園で教え始めたころのこと。一人の母親が私のところへきて、こう言った。
「うちは本家(ほんや)なんです。息子には、それなりの学校に入ってもらわないと、親戚の人たちに顔向けができないのです」と。
私はまだ20代の前半。そのときですら私は、こう言った記憶がある。「そんなこと気にしてはだめです。お子さん中心に考えなくては……」と。
このように今でも、封建時代の亡霊は、さまざまな形に姿を変えて、私たちの生活の中に入りこんでいる。ここでいう悪玉家族意識もその一つだが、とくに冠婚葬祭の世界には、色濃く、残っている。前にも書いたが、たとえば結婚式についても、個人の結婚というよりは、家どうしの結婚という色彩が強い。
それはそれとして、子どもの発達段階を調べていくと、子どもはある時期から、親離れを始める。そして「家庭」というワクから飛び出し、自立の道を歩むようになる。それを発達心理学の世界では、「個人化」※という。
それにたとえて言うと、日本人は、全体として、まだその個人化のできない、未熟な民族ということになる。その一つの証拠が、ここでいう悪玉家族意識ということになる。
※個人化……子どもがその成長過程において、家族全体をまとめる「家族自我群」から抜け出て、ひとり立ちしようとする。そのプロセスを、「個人化」という(心理学者、ボーエン)。
【追記】
この年齢になると、それぞれの人の生きザマが、さらに鮮明になる。たとえば私には、60人近い、いとこがいるが、そういういとこだけをくらべても、「家」や「親戚づきあい」にこだわる人もいれば、まったくそうでない人もいる。
で、問題は、こだわる人たちである。
こだわるのは、その人の勝手だが、そういう自分の価値観を、何ら疑うことなく、一方的に、そうでない人たちにまで、押しつけてくる。問答無用のばあいも、多い。「当然、君は、そうすべきだ」というような言い方をする。
一方、それに防戦する人たちは、(私も含めてだが)、それにかわる心の武器をもっていない。だからそういうふうに非難されながら、「自分の考え方はおかしいのかな」と、自らを否定してしまう。
それはたとえて言うなら、何ら武器をもたないで、強力な武器をもった敵と戦うようなものである。彼らは、「伝統」「風習」という武器をもっている。
これも子どもの世界にたとえてみると、よくわかる。
子どもは、その年齢になると、身体的に成長すると同時に、精神的にも成長する。身体的成長を、「外面化」というのに対して、精神的成長を、「内面化」という。
日本人は、子どもを「家族」(=悪玉家族意識)というワクでしばることにより、この内面化をはばんでしまうことが多い。あるいは中には、内面化すること自体を許さない親もいる。親に少し反発しただけで、「親に向かって、何だ、その口のきき方は!」と。
このとき、子どもの側に、それだけの思想的武器があればよいが、その点、親には太刀打ちできない。親には、経験も、知識もある。しかし子どもには、ない。
そこで子どもは、自らに、ダメ人間のレッテルを張ってしまう。そしてそれが、内面化を、さらにはばんでしまう。
これと同じように、家や親戚づきあいにこだわる人によって否定された、武器持たぬか弱き人たちは、この日本では、小さくならざるをえなくなる。
「家は大切にすべきものだ」「親戚づきあいは、大切にすべきものだ」と、容赦なく、迫ってくる。(本当は、そう迫ってくる人にしても、自分でそう考えて、そうしているのではない。たいていの人は、過去の伝統や風習を繰りかえしているだけ。つまりノーブレイン(脳なし)。)
そこでそう迫られた人たちは、自らにダメ人間のレッテルを張ってしまう。
しかし、もう心配は、無用。
今、私のように、過去の封建時代を清算しようと、立ちあがる人たちが、ふえている。いろいろな統計的な数字を見ても、もうこの流れを変えることはできない。その結果が、ここに書いた、「鮮明なちがい」ということになる。
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【はやし浩司先生のプロフィール】
1947年岐阜県生まれ。
金沢大学法文学部法学科卒業。
日豪経済員会給費留学生として、オーストラリアメルボン大学ロースクール(法学院)研究生、三井物産社員、幼稚園教師を経て、浜松市にてBW(ブレイン・ワーク)教室、幼児研究所を設立。
独自の哲学・教育論をもとに幼児教育の実践を行っています。
現在は教育評論家として、ホームページやブログ、メルマガ、ユーチューブ等を利用しながら執筆活動に専念しています。
●著書に「子育て最前線のあなたへ」(中日新聞社)、「おかしな時代のまともな子育て論」(リヨン社・2002年3月発行)、「ドラえもん野比家の子育て論」(創芸社)など、30冊余り。
うち4冊は中国語にも翻訳出版されています。
「まなぶくん幼児教室」(学研)、「ハローワールド」(創刊企画・学研)などの無数の市販教材も手がけ、東洋医学、宗教論の著書も計8冊出版されています。
●教育評論家、現在浜松市伝馬町でBW教室主催。
●現在は、インターネットを中心に活動中。
メルマガ・オブ・ザ・イヤー受賞(08)、
電子マガジン読者数・計3000人(09)、ほか。
「BW公開教室」を、HP上にて、公開中。
(HPへは、「はやし浩司」で検索、「最前線の子育て論byはやし浩司」より。)
過去の代表的な著書
・・・などなど30冊余り出版されています。