
適切な幼児教育は後の人間形成において大変重要であると考えていますが注意していただきたいことがあります。
幼児教育は完璧な育児や教育を推奨するものではないということです。
・愛情が第一を忘れない
・他の子どもと比較をしない
・完璧主義にならない
・結果を期待しすぎない
・ゆったりとした心を持つ
子どもへの過剰な期待は親子共に大きなストレスになる危険性あります。
ゆったりと構え、少しくらい上手くいかなくても「まぁ、いっか。」に考えられることが幼児教育を続けられるポイントになります。
「子どもの役割を認めてあげよう」について はやし浩司先生の子育て随筆
それぞれの子どもには、それぞれの役割がある。自然にできる方向性といってもよい。その役割を、親は、もっとすなおに認めてあげよう。
よく誤解されるが、「いい高校へ……」「いい大学へ……」というのは、役割ではない。それは目的ももたないで、どこかの観光地へ行くようなもの。行ったとたん、何をしてよいのかわからず、子どもは、役割混乱を引き起こす。
たとえば子どもが、「花屋さんになりたい」と言ったとする。そのとき大切なのは、子どもの夢や希望に沿った言葉で、その子どもの未来を包んであげるということ。
「そうね、花屋さんって、すてきね。おうちをお花で飾ったら、きっと、きれいね」と。
そして子どもといっしょに、図書館へ行って花の図鑑を調べたり、あるいは実際に、花を栽培したりする。そういう行為が、子どもの役割を、強化する。これを心理学の世界では、「役割形成」という。
つまり子どもの中に、一定の方向性ができる。その方向性が、ここでいう役割ということになる。
が、親は、この役割形成を、平気でふみにじってしまう。子どもがせっかく、「お花屋さんになりたい」と言っても、子どものたわごとのように思ってしまう。そして子どもの夢や希望をじゅうぶん聞くこともなく、「あんたも、明日から英語教室へ行くのよ!」「何よ、この算数の点数は!」と言ってしまう。
一般論として、役割が混乱すると、子どもの情緒は、きわめて不安定になる。心にすき間ができるから、誘惑にも弱くなる。いわゆる精神が、宙ぶらりんの状態になると考えると、わかりやすい。
そこで「いい高校」「いい大学」ということになる。
もう何年か前のことだが、夏休みが終わるころ、私の家に、二人の女子高校生が遊びにきた。そしてこう言った。
「先生、私、今度、○○大学の、国際関係学部に入ることにしました」と。
○○大学というのは、比較的名前が、よく知られた私立の大学である。で、私が、「そう、よかったね。……ところで、その国際カンケイ学部って、何? 何を勉強するの?」と聞くと、その女子高校生は、こう言った。
「私にも、わかんない……」と。
こういう状態で、その子どもは大学へ入ったあと、何を勉強するというのだろうか。つまりその時点で、その子どもは、役割混乱を起こすことになる。それはたとえて言うなら、あなたがある日突然、男装(女装でもよいが……)して、電車の運転手になれと言われるようなものである。
……というのは、少し極端だが、こうした混乱が起きると、心の中は、スキだらけになる。ちょっとした誘惑にも、すぐ負けてしまう。もちろん方向性など最初からないから、大学へ入ったあとも、勉強など、しない。
子どもの役割を認めることの大切さが、これでわかってもらえたと思う。子どもが「お花屋さんになりたい」と言ったら、すかさず、「すてきね。じゃあ、今度、H湖で、花博覧会があるから行きましょうね」と話しかけてあげる。
そういう前向きな働きかけをすることによって、子どもは、自分でその役割を強化していく。そしてそれがいつか、理学部への進学とつながり、遺伝子工学の研究へとつながっていくかもしれない。
子どもを伸ばすということは、そういうことをいう。
【追記】
●こうした役割形成は、何も、大学へ進学することだけで達成されるものではない。大学へ進学しないからといって、達成されないものでもない。それぞれの道で、それぞれが役割形成をする。
昔は、(いい大学)へ入ることが、一つのステータスになっていた。エリート意識が、それを支えた。
大学を卒業したあとも、(いい会社)へ入ることが、一つのステータスになっていた。エリート意識が、それを支えた。
しかしいまどき、エリート意識をふりかざしても、意味はない。まったく、ない。今は、もう、そういう時代ではない。
今、子どもたちを包む、社会的価値観が大きく変動している。まさにサイレント革命というに、ふさわしい。そういうことも念頭に置きながら、子どもの役割形成を考えるとよい。
まずいのは、親の価値観を、一方的に、子どもに押しつけること。子どもは役割混乱を起こし、わけのわからない子どもになってしまう。
●誘惑に強い子どもにする。……それはこの誘惑の多い社会を生きるために、子どもに鎧(よろい)を着せることを意味する。
この鎧を着た子どもは、多少の誘惑があっても、それをはね返してしまう。「私は、遺伝子工学の勉強をするために、大学へ入った。だから、遊んでいるヒマはない。その道に向かって、まっすぐ進みます」と。
そういう子どもにするためにも、子どもが小さいときから、役割形成をしっかりとしておく。
ここにも書いたように、「何のために大学へ入ったのか」「何を勉強したいのかわからない」という状態では、誘惑に弱くなって、当たり前。もともと勉強する目的などないのだから、それは当然のことではないか。
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【はやし浩司先生のプロフィール】
1947年岐阜県生まれ。
金沢大学法文学部法学科卒業。
日豪経済員会給費留学生として、オーストラリアメルボン大学ロースクール(法学院)研究生、三井物産社員、幼稚園教師を経て、浜松市にてBW(ブレイン・ワーク)教室、幼児研究所を設立。
独自の哲学・教育論をもとに幼児教育の実践を行っています。
現在は教育評論家として、ホームページやブログ、メルマガ、ユーチューブ等を利用しながら執筆活動に専念しています。
●著書に「子育て最前線のあなたへ」(中日新聞社)、「おかしな時代のまともな子育て論」(リヨン社・2002年3月発行)、「ドラえもん野比家の子育て論」(創芸社)など、30冊余り。
うち4冊は中国語にも翻訳出版されています。
「まなぶくん幼児教室」(学研)、「ハローワールド」(創刊企画・学研)などの無数の市販教材も手がけ、東洋医学、宗教論の著書も計8冊出版されています。
●教育評論家、現在浜松市伝馬町でBW教室主催。
●現在は、インターネットを中心に活動中。
メルマガ・オブ・ザ・イヤー受賞(08)、
電子マガジン読者数・計3000人(09)、ほか。
「BW公開教室」を、HP上にて、公開中。
(HPへは、「はやし浩司」で検索、「最前線の子育て論byはやし浩司」より。)
過去の代表的な著書
・・・などなど30冊余り出版されています。