適切な幼児教育は後の人間形成において大変重要であると考えていますが注意していただきたいことがあります。
幼児教育は完璧な育児や教育を推奨するものではないということです。
・愛情が第一を忘れない
・他の子どもと比較をしない
・完璧主義にならない
・結果を期待しすぎない
・ゆったりとした心を持つ
子どもへの過剰な期待は親子共に大きなストレスになる危険性あります。
ゆったりと構え、少しくらい上手くいかなくても「まぁ、いっか。」に考えられることが幼児教育を続けられるポイントになります。
「ガム(短編小説)」について はやし浩司先生の子育て随筆
寒い夜だった。冷たい風が、頬を切った。人通りは、少ない。数人の男たちと、少し前すれちがった。みな、酒でも飲んだのか、赤い顔をしていた。大声で、何やら言いあっていた。が、それだけだった。ほかに歩いている人はいなかった。
私は自転車のペダルをこいだ。こぎながら、舌の先で、ガムをまるめた。小さなガムだった。それを奥歯で、かんだ。
冷気が口の中に入った。ガムが、かたくなった。縮んだような感じがした。私は、ペダルをこぎながら、ガムをかんだ。ゆるいが、しばらくダラダラ坂がつづく。その坂を、少しだけ、力を入れてこいだ。
二年前、同じようにしてガムをかんでいたら、虫歯の詰め物が、はずれてしまった。ガムをかみながら、ふと、それを思い出した。それで三万円! 治療費が、三万円! ガムをかむ力をゆるめた。ガムは、ますますかたくなった。ガムをかむ力を抜いた。
「道路へ捨ててはだめだ」と、自分に言って聞かせた。強い誘惑を感じた。通りには、だれもいない。あたりは、暗い。やがて今度は、くだり坂。ペダルに足をのせたまま、全身で、冬の風を受ける。
気がつくとガムは、ガムというより、かたいゴムのようになっていた。私は、走りながら、道のそばのゴミ箱をさがした。自動販売機の空き缶入れが見えた。不要乾電池を入れる、カゴも見えた。しかし通りすぎた。
ガムを包む、紙をもっていなかった。私は、相変わらず舌の先で、ガムをころがしていた。ころがしながら、ときどき力を入れて、自転車をこいだ。
そう、私は、この三〇年間、ガムのみならず、ゴミを道路へ捨てたことはない。何度か、そういう場面はあったが、しなかった。「一度が二度、二度が三度……」。やがて歯止めがなくなる。それが私にもわかっていた。
自転車は、やがて、広い歩道へ出た。横には、できたばかりの大通りがつづく。その歩道へ自転車をのりあげる、私はいくぶんか、スピードを落した。あとはゆっくりと走ればいい。そう考えた。
このあたりまでくると、冷気も気持ちよい。シャツの一番したから、さわやかな汗が、遠慮がちにじみ出てくるのがわかる。私は、ガムを冷気にあてた。もうそのころになると、ガムというよりは、小石だった。かんでも味がない。かむと、ゴチリと歯にあたった。
「捨てようか」と思った。しかしすかさず、「家までもっていこう」と。あとはその繰りかえし。「どうして自転車に乗る前に捨てなかったのか」とも。しかし自転車を、ガムをわざわざ捨てるために止めるのも、気が引けた。
やがて二つ目の信号を渡ったときのこと。うしろから一人の女性がを追いぬいた。若い女性だった。髪の毛が、風に乗って、大きくゆらいでいた。私は、その女性の、尻を見た。サドルに埋もれて、ムチッとした肉が、外にはみ出ていた。私は、その尻を見ながら、ペダルに思わず力を入れた。
オスざるは、メスざるの尻を見て、発情するという。一説によると、赤い尻であればあるほど、よいらしい。オスざるにもてるらしい。それも、しわくちゃのほうが、もてるとか。ふと、頭の中で、そんな話を思い出した。
しばらく私は、うしろをついて走った。しかしその女性の自転車は、折りたたみ式の自転車だった。スピードは出ない。軽くこいだだけで、今にも追いぬきそうになる。それに私は、もう30年以上も自転車に乗っている。最近でこそ負けるようになったが、少し前まで、高校生と競争しても、負けなかった。そんな自負心もあった。
しばらく走って、四つ目の信号にさしかかったときのこと。信号が赤になっていた。が、その女性は、信号を無視して、道を横切った。「信号無視だ」と思いながらも、私は自転車を止めた。そしてそのまま信号が変わるのをまった。
女性は数百メートルくらい先を走っていた。反対側から走ってくる車のライトで、その姿がときどき見えなくなった。信号が青になったとき、私は、どういうわけか、猛烈な勢いでペダルをこぎだした。「どういうわけか?」……実のところ、理由など、書く必要はない。私は、その女性の尻が、また見たくなった。
体を立たせ、両腕でハンドルを引きつけ、ペダルを全身の体重をかけて押す。そして今度は思いっきり、ハンドルを、手前に引き寄せる。こういうのを英語では、ダッシュというう。私はそのダッシュを、リズミカルに繰りかえした。
みるみるうちに、距離がせばまった。やがてその女性の姿をとらえ、またあの尻もきれいに見えるようになった。派手な花模様の、がらパンツをはいていた。先ほどは気がつかなかったが、よく見ると、赤、青のモザイク模様だった。
私はスピードを落したが、しかしそのままその女性を追いぬいてしまった。その瞬間、その女性は、私を警戒したような様子を見せた。私は、そ知らぬ顔をして、前に出た。顔を見たかったが、がまんした。きっと、美しい女性にちがいない。
こういうとき、振りかえるのは、タブー(?) あらぬ下心を疑われる。それに私は昔から、こういうシチュエーションに弱い。不器用というか、センスがないというか……。私はそれまでの勢いで、どんどんと前に出た。……出てしまった。
やがて大きな交差点にさしかかった。その向こうは、大きなショッピングセンターになっている。が、そういうときほど、信号は青。私は、何食わぬ顔で、道を横切った。が、そこで信号は、黄色。そして赤に……。そのときはじめてうしろを振りかえった。が、その女性の姿は消えていた。「しまった!」と思った。
とたん、それまでがまんしていた息が、堰(せき)を切ったかのように、はげしく肺から吹き出した。ハーハーと。とたん、あろうことか、あのガムが、その息にまざって、外に! ポロリというより、プイといった感じだった。再び、「しまった!」と思った。
私は、この30年間守り抜いた何かを、その瞬間、なくしたような気がした。善なる心か。はたまた道徳か。それとも倫理か。
もどって拾うことも考えたが、足だけは、勝手に動きつづけた。戻ったところで、この暗闇では、どこにあるかさえもわからないだろう。そんな言い分けを、自分に言って聞かせた。しかし気分はよくなかった。気まずい思いが、胸をふさいだ。
何といっても、あの女性が悪い。私を誘惑した。そのおかげで、私は、ガムを、道路に捨てるハメに!
家に帰ってワイフに、「今夜は、ガムを道路に捨ててしまった」と、ポツリと告げると、ワイフは、夕食を用意する手を休めずに、「あら、どうして? あなたが?」と。
しかし私は、理由を話せなかった。だからそのまま夕刊の中に顔をうずめて、遅い夕食に箸をつけた。そしてしばらくして、こう言った。
「いつでも道徳を破壊するのは、人間の欲望だ」と。
何ともさまになった結論だった。そう思いながら、口を閉じて、夕食をかんだ。
【追記】
短編小説に挑戦してみました。意味のない小説ですが、そのときの状況が、みなさんの頭の中に浮かんでくれば、うれしいです。これから先、ときどき書いてみようと思っています。
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【はやし浩司先生のプロフィール】
1947年岐阜県生まれ。
金沢大学法文学部法学科卒業。
日豪経済員会給費留学生として、オーストラリアメルボン大学ロースクール(法学院)研究生、三井物産社員、幼稚園教師を経て、浜松市にてBW(ブレイン・ワーク)教室、幼児研究所を設立。
独自の哲学・教育論をもとに幼児教育の実践を行っています。
現在は教育評論家として、ホームページやブログ、メルマガ、ユーチューブ等を利用しながら執筆活動に専念しています。
●著書に「子育て最前線のあなたへ」(中日新聞社)、「おかしな時代のまともな子育て論」(リヨン社・2002年3月発行)、「ドラえもん野比家の子育て論」(創芸社)など、30冊余り。
うち4冊は中国語にも翻訳出版されています。
「まなぶくん幼児教室」(学研)、「ハローワールド」(創刊企画・学研)などの無数の市販教材も手がけ、東洋医学、宗教論の著書も計8冊出版されています。
●教育評論家、現在浜松市伝馬町でBW教室主催。
●現在は、インターネットを中心に活動中。
メルマガ・オブ・ザ・イヤー受賞(08)、
電子マガジン読者数・計3000人(09)、ほか。
「BW公開教室」を、HP上にて、公開中。
(HPへは、「はやし浩司」で検索、「最前線の子育て論byはやし浩司」より。)
過去の代表的な著書
・・・などなど30冊余り出版されています。