
適切な幼児教育は後の人間形成において大変重要であると考えていますが注意していただきたいことがあります。
幼児教育は完璧な育児や教育を推奨するものではないということです。
・愛情が第一を忘れない
・他の子どもと比較をしない
・完璧主義にならない
・結果を期待しすぎない
・ゆったりとした心を持つ
子どもへの過剰な期待は親子共に大きなストレスになる危険性あります。
ゆったりと構え、少しくらい上手くいかなくても「まぁ、いっか。」に考えられることが幼児教育を続けられるポイントになります。
「破壊された人間性」について はやし浩司先生の子育て随筆
こんな話を聞いた。
あの男性は、今年60歳になるという。生活力がないため、ずっと、弟夫婦からの仕送りを受けて、生活している。その弟氏は、現在、58歳。
その弟氏が、こう話してくれた。
「私の妻が、兄貴をこわがるのですね。私が近くにいないと、妻に抱きついたりするからです」と。
ふつうに抱きつき方ではない。口を先にとがらせて、ほっぺたに唇をつけてくるという。
「だから、絶対に、兄貴と妻が、一対一になるような状況は、つくらないようにしています」とも。
ふつうなら……、という言い方は、慎重にしなければならないが、ふつうなら、兄貴氏は、そういうことは、しない。してはならない。自分の生活のめんどうをみてくれている、弟夫婦である。しかし人間性が破壊されると、そういうことでも、平気でするようになる。
あるいは最近、こんな話も聞いた。
ある女性が、郷里の母親を、三日間、自分の家にとめてやったという。たまたまその女性の夫が、海外出張とかで、家をあけていた。その女性は、53歳。母親は、80歳になったところだった。
が、あるとき気がつくと、床の間の横にあった、鋳物の置き物がなくなっていた。そこでその女性は、母親に、「お母さん、知らない?」と何度も聞いたという。が、その母親は、知らぬ顔をして、テレビを見ていたという。
が、母親が帰るとき、カバンを車にのせようとしたら、カバンの底から、ゴツンという、音が聞こえたという。「もしや……」と思って中を見ると、その鋳物の置き物が、そこにあったという。
そこでその女性が、その鋳物の置き物をカバンから取り出し、「これは?」と母親に聞くと、その母親は、表情一つ変えないで、やはり知らぬ顔をしていたという。
ふつうなら……、という言い方は、慎重にしなければならないが、ふつうなら、母親氏は、そういうことは、しない。してはならない。三日間も、世話をしてくれた娘である。そういう娘の家から、ものを盗むということは、してはならない。しかし人間性が破壊されると、そういうことでも、平気でするようになる。
人間性というのは、そういうもの。
これらのケースで、先の兄貴氏にしても、母親氏にしても、当の本人たちはそれでよいかもしれないが、そのため、まわりの人たちが、苦しむ。「そんな兄でも……」とか、「そんな母でも……」とか言って、いくつも高いハードルを、越えなければならない。それは想像を絶する、苦しみと言ってもよい。その経験のない人には、絶対に理解できない苦しみである。
いかにじょうずに、老いていくか。一見、簡単なようだが、実際には、むずかしい。子育てを考えたら、同時に、自分自身の問題として、それを考えてみるとよい。
●老いを受けいれる
ある女性は、80歳をすぎた今も、美容院で、定期的に髪の毛を染めている。決して裕福な家庭ではない。わずかな老齢年金と、夫が遺産として残した、蓄(たくわ)えを切り崩しながら、生活をしている。
私はその話を聞いたとき、「どうして?」と思った。思いながら、ワイフに、「どうして女性は、髪の毛を染めるの?」と聞いてみた。
ワイフも、いつも風呂の中で、髪の毛を染めている。
ワイフは、こう言った。「いつまでも若く見られたいからよ」と。
しかしこの論理は、どう考えてもおかしい。
仮に40歳のとき、35歳に見えたとしても、45歳になれば、40歳に見られるだけ。
50歳になれば、45歳に見られるだけ。どうあがいても、年齢をごまかすことは、できない。
だったら、40歳のときは、すなおに、40歳に見られればよい。ムダな努力というか、抵抗は、やめたらよい。……とまあ、合理的に考えると、そういうことになる。が、そうはいかないところが、女性の心理らしい。
私「あるときがきたら、老いを認めればいい」
ワ「女性は、そうはいかないのよ」
私「皇后陛下だって、髪の毛は、真っ白だよ」
ワ「あの方は、すばらしい方よ。そういう生き方を、尊敬するわ」
私「だったら、お前も、そうすればいい。お前の白髪は、きっとすてきだよ」
ワ「……?」と。
「老い」というラベルを、自ら張ることもない。が、そのときがきたら、すなおに、それを受け入れればよい。顔や体のシワなど、いくらごまかしても、ごまかしきれるものではない。またごまかしたからといって、それがどうだというのか。
以前、顔を真っ白にしていた女性がいた。マスコミでも騒がれ、日本でも有名人になったが、私には、その女性は、化け物にしか見えなかった(失礼!)。が、それ以上に、その人がテレビに出るたびに、私は、何かしら、人間の愚かさを見せつけられているような気分になった。
「私」がない人の生きザマは、自然と、そうなる。「私」というものがないから、外見ばかり、とりつくろうようになる。見栄(みえ)、メンツ、世間体ばかりを気にするようになる。しかし見方によっては、それほど見苦しい生き方もない。
こんな歌詞を作った。
♪(デカンショ節で……)
デカンショ、デカンショで、半年暮らす。ヨイヨイ。
あとの半年や、寝て暮らす。アラヨ〜イヨ〜イ、デッカンショ。
ワイフと、やるときゃ、電気を消すよ。ヨイヨイ。
暗いところじゃ、年、見えぬ。アラヨ〜イヨ〜イ、デッカンショ。
たれた乳を、のばして、吸うよ。ヨイヨイ。
たれたチンチと、ごアイコよ。アラヨ〜イヨ〜イ、デッカンショ。
何とも、ジジババ臭い歌で、すみません。
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【はやし浩司先生のプロフィール】
1947年岐阜県生まれ。
金沢大学法文学部法学科卒業。
日豪経済員会給費留学生として、オーストラリアメルボン大学ロースクール(法学院)研究生、三井物産社員、幼稚園教師を経て、浜松市にてBW(ブレイン・ワーク)教室、幼児研究所を設立。
独自の哲学・教育論をもとに幼児教育の実践を行っています。
現在は教育評論家として、ホームページやブログ、メルマガ、ユーチューブ等を利用しながら執筆活動に専念しています。
●著書に「子育て最前線のあなたへ」(中日新聞社)、「おかしな時代のまともな子育て論」(リヨン社・2002年3月発行)、「ドラえもん野比家の子育て論」(創芸社)など、30冊余り。
うち4冊は中国語にも翻訳出版されています。
「まなぶくん幼児教室」(学研)、「ハローワールド」(創刊企画・学研)などの無数の市販教材も手がけ、東洋医学、宗教論の著書も計8冊出版されています。
●教育評論家、現在浜松市伝馬町でBW教室主催。
●現在は、インターネットを中心に活動中。
メルマガ・オブ・ザ・イヤー受賞(08)、
電子マガジン読者数・計3000人(09)、ほか。
「BW公開教室」を、HP上にて、公開中。
(HPへは、「はやし浩司」で検索、「最前線の子育て論byはやし浩司」より。)
過去の代表的な著書
・・・などなど30冊余り出版されています。