適切な幼児教育は後の人間形成において大変重要であると考えていますが注意していただきたいことがあります。
幼児教育は完璧な育児や教育を推奨するものではないということです。
・愛情が第一を忘れない
・他の子どもと比較をしない
・完璧主義にならない
・結果を期待しすぎない
・ゆったりとした心を持つ
子どもへの過剰な期待は親子共に大きなストレスになる危険性あります。
ゆったりと構え、少しくらい上手くいかなくても「まぁ、いっか。」に考えられることが幼児教育を続けられるポイントになります。
「夢と希望、そして目的」について はやし浩司先生の子育て随筆
・泣き崩れた母
「人はパンのみにて生くるにあらず」と言ったのは、イエスだが、そのとおり。ただ生きているだけでは、本当に生きているとは、言えない。
人が生きるためには、夢や希望と、そして目的が、必要である。反対に、パンがなくても、人は、夢や希望、それに目的があれば、生きていかれる。仮にそれで命を落すことがあっても、悔いはない。
そのため人は、生きながら、同時に、そのつど、夢や希望、そして目的をさがす。どんな絶望のどん底に落とされても、そのどん底で、夢や希望、そして目的をさがす。それは生きることにまつわる、最後の砦(とりで)のようなものではないか。この砦を失えば、その人を待っているのは、もはや「死」でしかない。
私が母に、「浩ちゃん、あんたは道を誤ったア!」と、言われたとき、私は、まさに絶望のどん底へと、叩き落とされた。私が「幼稚園で働く」と言ったときのことだ。母は、そう言って、電話口の向こうで、泣き崩れてしまった。
その夜のこと。私は、道を歩きながら、「浩司、死んではだめだ」と、自分に自分で言って聞かせねばならなかった。当時の常識では、(今でも、そうだが……)、総合商社をやめて、幼稚園の講師になるということは、考えられなかった。
(今でこそ、保育士という資格が認められているが、当時は、保母、つまり女性しか、保育士にはなれなかった。保父が認められたのは、私が三〇歳くらいのときだった。)
・しかしオーストラリアの友人は……
その私が、最後の砦を失わなかったのは、オーストラリアの友人たちが、励ましてくれたからにほかならない。D君(現在、M大教授)は、こう言った。「浩司、すばらしい選択だ」と。つまり彼のその言葉が、私にとっては、まさに「希望」だった。
そこで私はいつしかこう心に決めた。「じゅうぶん、お金がたまったら、オーストラリアへ移住しよう」と。そのころの私には、日本に対する未練は、もうなかった。今から思うと、それが私にとって、「夢」であり、「目的」だったかもしれない。私は、それにしがみついた。
ところで今、私は、老後の夢や希望、そして目的をさがし求めている。つまりそれは、「これからの老後をどう生きていこうか」という問題でもある。
仮に今、年金生活者になって、年金だけで生きている人を、私はうらやましいとは思わない。現に近所にも、そういう人がいる。毎日、何かをするでもなし、しないでもない。一日中、家の内と外で、ブラブラしている。
来客も、ほとんど、ない。しかし自分の家の前に、だれかが無断で車を駐車したりすると、写真をとって、警察へ届ける。あるいはパトカーを呼ぶ。その車に張り紙をする。
私は、いくら悠々自適な年金生活とは言っても、そういう老後が決して、理想的な老後だとは、思わない。思わないばかりか、そういう老人をかわいそうにすら思う。
そういう老人にとっての夢とは何か。希望とは何か。そして生きる目的とは何か。
・私の変化
私のばあい、このところ何をしても、「今さら……」という思いが強くなったように思う。
仮に夢や希望、そして目的らしきものをもったとしても、「それがどうなんだ」とか、「だからどうしたんだ」とか、そんなふうに考えてしまう。そして、その先の先まで、自分で見てしまう。
その点、恩師のT教授は、すばらしい。五〇歳を過ぎたころから、中国語の勉強を始めた。そしてあの中国で、日本人を代表して、いくつかの国際会議で、中国語で、講演まで、している。私がしている講演などとは、スケールがちがう。
しかし今となってみると、そのときは、すごいことだと、あれほど強烈に思ったはずなのに、やはり、「それがどうした……?」と、思ってしまう。夢や希望、そして目的は、生きるためには必要だとはわかっているが、その夢や希望、そして目的が、年齢とともに、質的に変化してしまった?
たとえば若いときは、歌手になり、一躍有名になって……と、考える。ある子ども(小5)は、いつか、こう言った。「ぼくの夢は、スーパーマンになることだ」と。そして「スーパーマンになれたら、三〇歳で死んでもいい」と。
ちょうどそのころ、私はその三〇歳だったから、その言葉を聞いて、驚いた。そしてその子どもに、こう言った。
「あのな、三〇歳なっても、人生は、ここにあるんだよ」と。
そう、何歳になっても、人生は、ここにある。どこにも、ない。ここにある。が、夢や希望、そして目的だけが、どんどんと、勝手に変わっていってしまう。それまで夢や希望、それに目的だったものが、そうでなくなってしまう。
・ひとつの選択
そこで人は、一つの選択に迫られる。
夢や希望、そして目的を、さがし求めつづけるか。さもなければ、放棄するか、と。
夢や希望、そして目的を放棄することは、それほど、むずかしいことではない。要するに、ノーブレインになればよい。もっとわかりやすく言えば、バカになればよい。何も考えずに……。ただひたすら、毎日、同じことだけを繰りかえせばよい。
しかし、私には、それができない。つまり選択としては、私は、自分で、夢や希望、そして目的をさがしつづけるしかない。
そういう視点で、今の自分をながめてみる。私にとっての、夢や希望、そして目的とは何か、と。
……目を閉じて静かに、暗い空間を思いやると、そこに見えてくるのは、荒涼たる原野だけ。心の原野。
私はその手前に立って、その原野を見つめている。方向を示すものは、何もない。地上のように、原野を照らす太陽もない。
そういう世界では、夢や希望など、もうないのかもしれない。しかし目的はないわけではない。ただひたすら毎日歩いて、前に進むこと。一歩でも、先へ進むこと。そう、夢や希望ということになれば、その途中で、それまで知らなかったことを、見つけることかもしれない。
実際、それまで知らなかったことを発見するのは、実に、スリリングで楽しい。おもしろい。それはたとえて言うなら、恐竜学者が、どこかで恐竜の骨を見つけるようなものではないか。あるいはもっと身近な例では、魚を釣っている人が、それまでに見たこともない、珍しい魚を釣るようなものではないか。
が、ここにも大きな限界がのしかかってくる。
・もう時間がない!
私はそれを楽しむというよりは、いつも時間に追われているような気分になる。脳の老化は、自分でもわかる。ボケることは、今のところなさそうだが、明日あたり、ひょっとしたら脳梗塞(こうそく)か何かになるかもしれない。もしそうなれば、私は、その最後の砦すら、失うことになる。
若い人にとっては、夢や希望、そして目的は、華やかに明るく輝くものだが、しかし、年をとると、それらは、急速に輝きを失う。しかしいくら輝きを失っても、私はそれを放棄することはできない。そういう意味では、今は、模索のとき。心の転機のとき。
それはまさしく、私にとっては、生きるための戦いと言ってもよい。
【追記】
たまたま私の横にいた、中学二年生の女の子に、こう聞いてみた。「君の夢はなにか?」と。
すると、その女の子は、こう言った。「……とお……、何とは決まっていなんだけど、舞台に立つのが好きだったから、(おとになったら)、その舞台にかかわって生きたい」と。
私は「なるほど……」と言って、そのまま黙った。
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【はやし浩司先生のプロフィール】
1947年岐阜県生まれ。
金沢大学法文学部法学科卒業。
日豪経済員会給費留学生として、オーストラリアメルボン大学ロースクール(法学院)研究生、三井物産社員、幼稚園教師を経て、浜松市にてBW(ブレイン・ワーク)教室、幼児研究所を設立。
独自の哲学・教育論をもとに幼児教育の実践を行っています。
現在は教育評論家として、ホームページやブログ、メルマガ、ユーチューブ等を利用しながら執筆活動に専念しています。
●著書に「子育て最前線のあなたへ」(中日新聞社)、「おかしな時代のまともな子育て論」(リヨン社・2002年3月発行)、「ドラえもん野比家の子育て論」(創芸社)など、30冊余り。
うち4冊は中国語にも翻訳出版されています。
「まなぶくん幼児教室」(学研)、「ハローワールド」(創刊企画・学研)などの無数の市販教材も手がけ、東洋医学、宗教論の著書も計8冊出版されています。
●教育評論家、現在浜松市伝馬町でBW教室主催。
●現在は、インターネットを中心に活動中。
メルマガ・オブ・ザ・イヤー受賞(08)、
電子マガジン読者数・計3000人(09)、ほか。
「BW公開教室」を、HP上にて、公開中。
(HPへは、「はやし浩司」で検索、「最前線の子育て論byはやし浩司」より。)
過去の代表的な著書
・・・などなど30冊余り出版されています。