
適切な幼児教育は後の人間形成において大変重要であると考えていますが注意していただきたいことがあります。
幼児教育は完璧な育児や教育を推奨するものではないということです。
・愛情が第一を忘れない
・他の子どもと比較をしない
・完璧主義にならない
・結果を期待しすぎない
・ゆったりとした心を持つ
子どもへの過剰な期待は親子共に大きなストレスになる危険性あります。
ゆったりと構え、少しくらい上手くいかなくても「まぁ、いっか。」に考えられることが幼児教育を続けられるポイントになります。
「非行の下地」について はやし浩司先生の子育て随筆
やがて非行に走る子どもになるかどうかは、小学四、五年生のころの子どもをていねいに観察すればわかる。
すさんだ態度、投げやりな行動、乱暴で短絡的なものの考え方、独特のしぐさなど。
こうした兆候が見られたら、できるだけ早く親は、家庭環境のあり方を、猛省しなければならない。しかし、親には、それがわからない。
この時期は、ちょうど子どもの受験期にも重なる。親にしてみれば、「それどころではない」ということになる。またそういう兆候を見たとしても、たいていの親は、「まだ、何とかなる」「そんなはずはない」と、自ら否定してしまう。
どの親も、こと子育てについては、まったくの無知の状態で始める。そして無知のまま、子育てをつづける。それはしかたないとしても、なぜ、私のようなものが言う発言に、少しは耳を傾けないのか?
親は、私が「有知」であることすら、気づいていない。「うちの子のことは、私が一番よく知っている」と、思いこむ。思いこんで、私の意見を、無視する。
つい先日も、子どものことであれこれ相談してきた母親がいた。「学校の先生がきびしすぎる」「友だちから仲間はずれにされる」「あちこちから乱暴したと、苦情を言われる。うちの子は、何もしていないのに……」と。
しかしその子ども(小五)は、一見しただけで、ADHD児とわかった。意味もなく手首を、パシッパシッと、振って、落ちつかない様子を見せていた。しかし私が、そんな子どもも区別できないで、こんな仕事をしているとでも、思っているのか! ただ立場上、そうした診断名を口にすることができないだけだ!
その親は、子どもに大きな期待を寄せているようだった。具体的には、今度新しくできたS中学への入学を考えているようだった。で、そのために、どうしたらよいか、と。
私はその話を聞きながら、内心では、「問題は、別のところにあるのに……」「もっとほかの部分を、冷静に見たらいいのに……」と思った。そしてその親子が帰ったあと、「どうして親は、こうまで無知なのか」とさえ、思った。
非行の問題も、まったく同じ。私には、その子どもの将来が、手にとるように、よくわかる。わかりすぎるほど、わかる。しかしそれを私のほうから言うのは、タブー。言う必要もないし、また言ってはならない。ただひたすら、親のほうから相談があるまで、待つしかない。
親がその兆候に気づき、「どうしたらいいか?」という相談があれば、そのときこそ、私の出番である。しかしそういう親ほど、子どもに盲目。そしてその兆候を、みすみすと、見逃してしまう。そしてあとはお決まりの……。
……とまあ、不毛なエッセーを書いても意味はない。
こうした非行には、下地がある。その下地があるところに、何かの誘惑があると、子どもは、何の抵抗もなく、非行への道へと入っていく。
よく誤解されるが、子どもが非行の道に入るのは、非行の誘惑があるからではない。子どもが非行に走るようになるのは、
?その下地があり、?それに対する抵抗力がないからである。
非行への誘惑など、そこらにあるばい菌のように、子どものまわりにウヨウヨとある。
そのばい菌に毒されるか毒されないかのちがいは、この抵抗力による。言いかえると、この抵抗力さえ、しっかりとつけておけば、子どもは、非行に走ることはない。
そういう観点で書いたのが、つぎの原稿である(中日新聞投稿済み)。
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抵抗力のある子ども
怪しげな男だった。最初は印鑑を売りたいと言っていたが、話をきいていると、「疲れがとれる、いい薬がありますよ」と。私はピンときたので、その男には、そのまま帰ってもらった。
西洋医学では、「結核菌により、結核になった」と考える。だから「結核菌を攻撃する」という治療原則を打ち立てる。
これに対して東洋医学では、「結核になったのは、体が結核菌に敗れたからだ」と考える。
だから「体質を強化する」という治療原則を打ち立てる。人体に足りないものを補ったり、体質改善を試みたりする。これは病気の話だが、「悪」についても、同じように考えることができる。
私がたまたまその男の話に乗らなかったのは、私にはそれをはねのけるだけの抵抗力があったからにほかならない。
子どもの非行についても、また同じ。非行そのものと戦う方法もあるが、子どもの中に抵抗力を養うという方法もある。
たとえばその年齢になると、子どもたちはどこからとなく、タバコを覚えてくる。最初はささいな好奇心から始まるが、問題はこのときだ。たいていの親はしかったりする。で、さらにそのあと、誘惑に負けて、そのまま喫煙を続ける子どももいれば、その誘惑をはねのける子どももいる。
東洋医学的な発想からすれば、「喫煙という非行に走るか走らないかは、抵抗力の問題」ということになる。そういう意味では予防的ということになるが、実は東洋医学の本質はここにある。東洋医学はもともとは「病気になってから頼る医学」というよりは、「病気になる前に頼る医学」という色彩が強い。あるいは「より病気を悪くしない医学」と考えてもよい。ではどうするか。
子育ての基本は、自由。自由とは、もともと「自らに由(よ)る」という意味。つまり子どもには、自分で考えさせ、自分で行動させ、そして自分で責任を取らせる。しかもその時期は早ければ早いほどよい。
乳幼児期からでも、早すぎるということはない。自分で考えさせる時間を大切にし、頭からガミガミと押しつける過干渉、子どもの側からみて、息が抜けない過関心、「私は親だ」式の権威主義は避ける。暴力や威圧がよくないことは言うまでもない。
「あなたはどう思う?」「どうしたらいいの?」と。いつも問いかけながら、要は子どものリズムに合わせて「待つ」。こういう姿勢が、子どもを常識豊かな子どもにする。抵抗力のある子どもにする。
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最後に「非行の下地」は、かなり早い時期に、できる。小四、五年生前後までは、子どもらしい、明るい子どもだったのが、五、六年ごろから急に変化し始め、中学校へ入るころには、やがて手がつけられなくなる。
たいていの親は、そのころ、やっと気がつくわけだが、しかしそのころ、非行の下地ができるわけではない。
「勉強さえできればよい」という短絡的な、子育て感。「少しぐらい心が犠牲になってもかまわない」という、無責任な育児姿勢。子どもの心を無視して、子どもをあちこちの塾や進学塾を連れまわす。「もっと……」「まだ何とかなる……」「少しでもいい学校へ……」と。
子どもの心が親から遊離し始めても、それに気づかない。無視する。わざと見て見ぬふりをする。そして「そんなはずはない……」という誤解と錯覚で、子どもの心を、ますます見失ってしまう。
これが非行に走る「下地」である。やがて子どもの心は、臨界状態に達する。そして爆発する。「このヤロー、このクソババア!」「てめエー、オレをこんなオレにしやがってエ!」と。
今、こうして失敗していく親は、本当に多い。何割の親がそうであると言ってもよいほど、多い。ひょっとしたら、あなたもそうかもしれない。あなたの子どもにも、すでにそういう下地と、兆候が見られるかもしれない。だとするなら、今一度、家庭教育のあり方を、猛省してみたらよい。
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【はやし浩司先生のプロフィール】
1947年岐阜県生まれ。
金沢大学法文学部法学科卒業。
日豪経済員会給費留学生として、オーストラリアメルボン大学ロースクール(法学院)研究生、三井物産社員、幼稚園教師を経て、浜松市にてBW(ブレイン・ワーク)教室、幼児研究所を設立。
独自の哲学・教育論をもとに幼児教育の実践を行っています。
現在は教育評論家として、ホームページやブログ、メルマガ、ユーチューブ等を利用しながら執筆活動に専念しています。
●著書に「子育て最前線のあなたへ」(中日新聞社)、「おかしな時代のまともな子育て論」(リヨン社・2002年3月発行)、「ドラえもん野比家の子育て論」(創芸社)など、30冊余り。
うち4冊は中国語にも翻訳出版されています。
「まなぶくん幼児教室」(学研)、「ハローワールド」(創刊企画・学研)などの無数の市販教材も手がけ、東洋医学、宗教論の著書も計8冊出版されています。
●教育評論家、現在浜松市伝馬町でBW教室主催。
●現在は、インターネットを中心に活動中。
メルマガ・オブ・ザ・イヤー受賞(08)、
電子マガジン読者数・計3000人(09)、ほか。
「BW公開教室」を、HP上にて、公開中。
(HPへは、「はやし浩司」で検索、「最前線の子育て論byはやし浩司」より。)
過去の代表的な著書
・・・などなど30冊余り出版されています。