
適切な幼児教育は後の人間形成において大変重要であると考えていますが注意していただきたいことがあります。
幼児教育は完璧な育児や教育を推奨するものではないということです。
・愛情が第一を忘れない
・他の子どもと比較をしない
・完璧主義にならない
・結果を期待しすぎない
・ゆったりとした心を持つ
子どもへの過剰な期待は親子共に大きなストレスになる危険性あります。
ゆったりと構え、少しくらい上手くいかなくても「まぁ、いっか。」に考えられることが幼児教育を続けられるポイントになります。
「自分さがし」について はやし浩司先生の子育て随筆
自分がひねくれているか、いじけているか、それを知っている人は少ない。しかしそれを知る、方法がないわけではない。
すなおでない子どもは、そのつど、さまざまに心が変化するのがわかる。また変化するから、「すなおでない」ということになる。
たとえば少し前、こんなことがあった。
ある母親に「私のマガジンを読んでくれていますか?」と聞いたときのこと、その母親は、こう言った。「めったにパソコンは、開きませんから……」と。つまり「読んでない」と。
そのとき私の心の中では、さまざまな変化が起きた。
最初に、がっかりした。それは当然だが、そのあと、すぐに、「もう、マガジンなんか、出すのをやめよう」と思った。
ここである。
私は子どものころから、何かのことでつまずくと、すぐ自暴自棄になるところがある。
たとえばこんなことがあった。
小学五年生のとき、好きな女の子がいた。しかし、いくらモーションをかけても、私には、見向きもしてくれなかった。そのころのこと。私は、ある日、その女の子がいないとき、その女の子の机から、勝手にノートを取り出し、落書きをしてしまった。
そういう事実から、私は、かなりいじけた子どもであったことがわかる。(もし、今、私の目の前で、私がしたことと同じことをする子どもがいたら、私は、そう思うだろう。)
そのとき、私の中には、二人の自分がいた。
ひとりの自分は、「アハハハ、ザマーミロ!」と笑っている自分。もう一人は、「どうしてそんなことをするのだ」と、自分を責める自分。私はその二人の自分を、今でも、はっきりと覚えている。
このとき、「アハハハ」と笑っている自分が、ここでいう自暴自棄になりやすい自分ということになる。
●変化する「私」
しかし時間がたつと、少しずつ、気持が変化してきた。最初は、「マガジンなんか、出すのをやめよう」と思っていたが、そのうち、「中には、読んでくれる人もいるかもしれないし……」と考えるようになり、さらには、「マガジンを出すのは、自分のためではないか」と考えるようになった。
こうした変化は、つまりは、(いじけた自分)から、(私という自分)に戻る過程と考えてよい。
つまり「私」という私が、私の中にいる。その「私」を取り巻く形で、いろいろな「私」がいる。その取り巻いている私が、ひねくれた私であり、いじけた私ということになる。
言いかえると、こうした変化を自分の中にとらえることによって、自分が、どういう人間であるかを知ることができる。
もし私が、すなおな私であれば、こうした変化は、起きないはず。最初から、「マガジンは自分のため」と考えて、そうした母親の意見を、笑って聞くことができたはず。もちろん心の動揺も、なかったはず。
●そこであなた自身は、どうか……
その人が、すなおかどうかは、心の状態(=情意)と、外に現れている状態(=表情)が、一致しているかどうかをみればよい。
うれしいときには、うれしそうな顔をする。悲しいときには、悲しそうな顔をする。いやだったら、「いや」と、はっきりと言うことができる、など。
もう一つは、心のゆがみのないことを、「すなお」という。
そしてここでいう「ゆがみ」というのは、実は、(私であって、私でない部分)をいう。
私の例で言うなら、自暴自棄になってしまう自分をいう。もう二年近くつづけてきたマガジンである。そういうマガジンでも、「やめてしまう!」と。
言いかえると、この時点で、本来の「私」が、別の、つまりすなおでない「私」に左右
されたとになる。
もっとも、こうした現象は、すなおな人には理解できないだろうと思う。私のワイフな
どは、結構いじけたところがある割には、ものの考え方がストレート。すなお。そのワイ
フが、こう言う。
「どうして、そんなふうに考えるの? 中には、熱心に読んでくれている人も、きっといるわよ」と。私のそうした、いじけた部分が、ワイフには理解できないらしい。
●乳幼児期までさかのぼる
こうした「私」であって、私でない「私」は、恐らく、乳幼児期というきわめて初期の、そのころに、その人の中にできるものとみてよい。
私のばあいも、そのいじけた部分は、かなり早い時期にできた。もの心つくころには、私はそうなっていたから、五歳とか、六歳ではない。もっと前である。ただそのころになると、記憶がないので、(実際には、想起できないだけだが)、よくわからない。しかしいじけていたのは、事実だ。
だれかが何かをくれても、わざと「そんなものいらない」とか、「そんなもの、たくさんもっている」というようなことを言った記憶が、どこかに残っている。
そういう自分が、今でも心のどこかに残っていて、顔を出す。それが、冒頭に書いた、マガジンの話である。私はそのとき、本当に、「マガジンを出すのを、もうやめよう」と思った。心底、自分のしていることが、バカバカしく思えた。「毎日、何のために書いているのか」とさえ思った。
私は自分の中の「私」の声を、静かに、すなおに聞くことができなかった。
つまり、あなた自身も、もし同じような立場に置かれたとき、私でない「私」に左右されることがあるというのであれば、あなた自身の心の中を旅をしてみるとよい。なぜあなたはすなおではないのか。またその原因は、何か、と。
●診断
何かのことで心が動揺することは、よくある。そのとき、自分が、どのように動揺するかを、冷静に観察してみるとよい。
いじけた性格の人……ちょっとしたことでも、それを悪いほうへ、悪いほうへと考えてしまい、自分自身をも悪いほうに向けてしまう。
すねた性格の人……「どうしたの?」と声をかけてもらったりすると、相手に心配をかけてはいけないと思いつつ、反対に、かえって相手をさらに心配させてしまうようなことを口にしてしまう。
つっぱった性格の人……だれかがやさしくしてくれても、それを拒絶してしまう。あるいはその裏を見ようとする。「こんなことをしてくれるのは、何か、魂胆があるからだ」と。
ひねくれた性格の人……他人が、何かをほめたり、たたえたりすると、すぐそれを否定するような言葉を投げかけてしまう。
こうした自分というのは、自分では、なかなか気がつかないもの。あるいは自分で気がつくということは、まず、ない。脳のCPU(中央演算装置)の問題だからである。仮にそうであっても、このタイプの人は、どの人も、自分と同じだとか、あるいは、自分のように思わないほうがおかしいと考えてしまう。
つまりいつも、基準を、自分に置いてしまう。だから、よけいに、気づかない。
●さて私のこと
私は、「もう、マガジンなんか、出すのをやめよう」と、確かに思った。思っただけではなく、本気で、そうしようと思った。
しかしそのあと、いくつかの「思い」が、あれこれ思い浮かんでは消えた。そしてやがて、自暴自棄になった私のほうが、おかしいとわかった。
そのときのこと。
私は女の子のノートに落書きをした「私」を思い出した。一人は、笑っている私。もう一人は、私を責める私。
私は今まで、あのときのことを思い出すたびに、「私の中には二人いた」と思っていた。
しかし実際には、そうではなく、落書きをしたときは、「ザマーミロ!」という私がいた。
しかし時間がたつにつれて、「どうしてそんなことをしたのか」と、自分を責める私に変化した。それが思い出の中では、混ぜんとして、あたかも二人の自分がいるかのように思ってしまった……?
記憶というのは、そういう点では、実にあいまいなもの。つまりそのときから、(あるいはそれ以前から)、私の中には、私でない私もいたということになる。
それはさておき、今回はからずも、小さな事件だが、改めて「私」を知るきっかけとなった。
そこで私は、断言する。
私はたしかに、いじけている。ひねくれている。
それが今、改めてわかった。
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【はやし浩司先生のプロフィール】
1947年岐阜県生まれ。
金沢大学法文学部法学科卒業。
日豪経済員会給費留学生として、オーストラリアメルボン大学ロースクール(法学院)研究生、三井物産社員、幼稚園教師を経て、浜松市にてBW(ブレイン・ワーク)教室、幼児研究所を設立。
独自の哲学・教育論をもとに幼児教育の実践を行っています。
現在は教育評論家として、ホームページやブログ、メルマガ、ユーチューブ等を利用しながら執筆活動に専念しています。
●著書に「子育て最前線のあなたへ」(中日新聞社)、「おかしな時代のまともな子育て論」(リヨン社・2002年3月発行)、「ドラえもん野比家の子育て論」(創芸社)など、30冊余り。
うち4冊は中国語にも翻訳出版されています。
「まなぶくん幼児教室」(学研)、「ハローワールド」(創刊企画・学研)などの無数の市販教材も手がけ、東洋医学、宗教論の著書も計8冊出版されています。
●教育評論家、現在浜松市伝馬町でBW教室主催。
●現在は、インターネットを中心に活動中。
メルマガ・オブ・ザ・イヤー受賞(08)、
電子マガジン読者数・計3000人(09)、ほか。
「BW公開教室」を、HP上にて、公開中。
(HPへは、「はやし浩司」で検索、「最前線の子育て論byはやし浩司」より。)
過去の代表的な著書
・・・などなど30冊余り出版されています。