適切な幼児教育は後の人間形成において大変重要であると考えていますが注意していただきたいことがあります。
幼児教育は完璧な育児や教育を推奨するものではないということです。
・愛情が第一を忘れない
・他の子どもと比較をしない
・完璧主義にならない
・結果を期待しすぎない
・ゆったりとした心を持つ
子どもへの過剰な期待は親子共に大きなストレスになる危険性あります。
ゆったりと構え、少しくらい上手くいかなくても「まぁ、いっか。」に考えられることが幼児教育を続けられるポイントになります。
「思考の老化(2)」について はやし浩司先生の子育て随筆
古いことを言うから、老化していることにはならない。反対に、新しいことを言うから、老化していないということにはならない。
たとえばその人が武士道を説き、明治の英雄をたたえたからといって、その人の思考が、老化しているということにはならない。反対に、コンピュータを使って、ロックのCDを聞いているからといって、老化していないということにはならない。
思考が老化している人には、つぎのような特徴がある。
(1) がんこ……自分の考え以外は、受けつけない。「自分は絶対正しい」という、きわめて強い自己中心性がみられる。
(2) 単一性……行動、言動が、単一化、ワンパターン化する。日々の行動、月単位の行動、さらに年単位の行動が、単調になる。またそうでないと、気が休まらない。
(3) 鈍感性……繊細(せんさい)な会話ができなくなる。ものの考え方が、おおざっぱで、いいかげん。相手の立場で考えて、こまかい気配りができない。
(4) 非融通性……その場、その場で、臨機応変に行動ができなくなる。自分の興味のある範囲だけに関心をもち、年齢とともに、その範囲が、より狭くなる。
(5) 思考力の減退……感情論や、その場の雰囲気で、ものを言う。他人の受け売り的な意見が多くなる。自分で考えることができない。
要するに柔軟な思考性をなくすことをいう。そしてその結果として、それまでの自分に固執するあまり、新しい世界を否定したりするようになる。
R氏(七〇歳男性)も、その一人。
玄関を入ると、織田信長と徳川家康の肖像画が飾ってある。江戸時代には武家だったとかで、その奥には、古びた鎧(よろい)兜(かぶと)が、並べてある。
今、R氏の家では、R氏と息子氏との、争いが絶えない。R氏の住んでいる地域には、昔からの儀式が、あれこれ残っている。毎月のように、それがある。「それをしろ!」と迫るR氏。「いやだ!」とこばむ息子氏。
息子氏は、こう言う。「軒につける飾りつけ一つをとっても、位置がおかしいとか、ずれているとか、とにかくうるさくて困る」と。
そのR氏は、このところ、ますますがんこになってきた。「最近の若いものたちは、先祖を粗末にする」が、口グセにもなっている。
そのR氏に、意見を言うものは、いない。いや、以前、一人、隣の村に住む、甥(おい)が、意見を言ったことがある。そのとき、その甥氏は、R氏に怒鳴りつけられた上、大きなナタで、追いまわされたという。
思考が老化すると、結局は、だれにも相手にされなくなる。しかしR氏には、そういうさみしさそのものが、わからない。「自分は絶対に正しい」と思うのは、R氏の勝手だが、その返す刀で、「お前は、まちがっている!」と言う。
その思考の老化を防ぐために、いろいろな方法が考えられる。旅行がよいとか、趣味がよいとか、多くの人と接するとよいとか、など。
しかしそれも必要条件かもしれないが、それだけでは、思考の老化を防ぐことはできない。思考の老化を防ぐためには、常に、その思考力をみがかねばならない。またみがくための環境を用意しなければならない。
私は、個人的には、幼児や子どもと接するとよいと思っているが、みながみな、そういう環境を求められるわけではない。
思考力というのは、油断をすると、すぐ停滞する。停滞するならまだしも、退化する。
そしていつの間にか、愚にもつかないようなことを口にするようになる。どういった人物であったかを、自分で検証することもなく、「信長」だの、「家康」だのと言っている人は、たいていこのタイプの人とみてよい(失礼!)。
反対に、思考が若い人は、柔軟性があると同時に、繊細(せんさい)さがある。デリケートな話をしても、スーッと、心にしみていくのがわかる。つまりは、そういう人は、思考力が若いということになる。
……と書いて、この問題は、私自身の問題でもある。
このところ自分でも、思考力が老化しているのがわかる。その一、感受性が、たしかに弱くなった。その二、考えが堂々巡りする。その三、がんこになった。その四、集中力がなくなり、サエが弱くなった、その五……。いろいろある。
とくにサエがなくなってきたのが、気になる。数年前に書いた原稿と、最近書いた原稿を、読みくらべてみると、それがわかる。このところ、書いている文章は、どこか、かったるい? 甘い? 浅い?
それにこのところ、他人の悲しみや苦しみに、鈍感になってきた。そのため、失敗することが多くなった。人をキズつけるようなことを、平気で書いてしまう。言葉の使い方も、乱暴になってきた。こまかい気配りが、苦手になってきた……。
こうして人は、老いていくものなのか。あるいはこの問題は、老いていくとき、避けられないものなのか。ちょうど皮膚にシワができ、足腰が弱くなるように、だ。いくらがんばって運動しても、若いときのような健康は、取りもどすことはできない。
最後に、数年前、こんな人に会った。ほぼ三〇年ぶりに会ったのだが、まったく会話がかみあわなかった。
その人(男性、私と同年齢)は、こう言った。
「毎日、会社と自宅を往復するだけ。夜は、スポーツ新聞を読んで、野球の中継を見る。
休みは、天気のよい日は、魚釣り。雨の日は、パチンコ」と。
しかしこういう人生に、いったい、どういう意味があるというのだろうか。人も、平凡にかまけると、そういう生活を送るようになる。
(こういう失礼なことを、平気で書くようになったこと自体、私の思考も老化を始めているということになるのだが……?)
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【はやし浩司先生のプロフィール】
1947年岐阜県生まれ。
金沢大学法文学部法学科卒業。
日豪経済員会給費留学生として、オーストラリアメルボン大学ロースクール(法学院)研究生、三井物産社員、幼稚園教師を経て、浜松市にてBW(ブレイン・ワーク)教室、幼児研究所を設立。
独自の哲学・教育論をもとに幼児教育の実践を行っています。
現在は教育評論家として、ホームページやブログ、メルマガ、ユーチューブ等を利用しながら執筆活動に専念しています。
●著書に「子育て最前線のあなたへ」(中日新聞社)、「おかしな時代のまともな子育て論」(リヨン社・2002年3月発行)、「ドラえもん野比家の子育て論」(創芸社)など、30冊余り。
うち4冊は中国語にも翻訳出版されています。
「まなぶくん幼児教室」(学研)、「ハローワールド」(創刊企画・学研)などの無数の市販教材も手がけ、東洋医学、宗教論の著書も計8冊出版されています。
●教育評論家、現在浜松市伝馬町でBW教室主催。
●現在は、インターネットを中心に活動中。
メルマガ・オブ・ザ・イヤー受賞(08)、
電子マガジン読者数・計3000人(09)、ほか。
「BW公開教室」を、HP上にて、公開中。
(HPへは、「はやし浩司」で検索、「最前線の子育て論byはやし浩司」より。)
過去の代表的な著書
・・・などなど30冊余り出版されています。