
適切な幼児教育は後の人間形成において大変重要であると考えていますが注意していただきたいことがあります。
幼児教育は完璧な育児や教育を推奨するものではないということです。
・愛情が第一を忘れない
・他の子どもと比較をしない
・完璧主義にならない
・結果を期待しすぎない
・ゆったりとした心を持つ
子どもへの過剰な期待は親子共に大きなストレスになる危険性あります。
ゆったりと構え、少しくらい上手くいかなくても「まぁ、いっか。」に考えられることが幼児教育を続けられるポイントになります。
「思考の老化」について はやし浩司先生の子育て随筆
体が衰えるように、思考も、老化する。「古くなる」ということではない。老化する。
その第一の症状。融通性がなくなり、小回りがきかなくなる。がんこになり、自分の考えに、固執する。相手に対して、許容範囲が狭くなる。
こうした老化を防ぐためには、若い人と接するとよい。とくに子どもが、よい。子どもといっしょになって、騒いだり、笑ったりすると、よい。
思考が老化すると、当然のことながら、若い世代の人たちと、コミュニケーションが、うまくとれなくなる。が、問題は、それだけではない。
私が「思考の老化」を感じたのは、こんな事件があったときのこと。ある日、事務所で、ひとりでぼんやりとしていると、三五歳くらいの女性が、突然、やってきた。そしてこう言った。
「先生、南京虐殺事件では、日本軍は、三〇万人も、殺していません。せいぜい、三万人だそうです。どうして中国は、こうまで日本を悪く言うのでしょうか。許せません」と。
当時、マスコミで、南京虐殺事件が話題になっていた。そしてある月刊誌が、「南京虐殺事件はなかった。三〇万人説は、中国側のでっちあげ」と、報道していた。その女性は、その記事を読んだらしい。
しかし、私はこう言った。「三万人でも、問題でしょう。三〇〇〇人でも、三〇〇人でも、問題でしょう。どうしてそのとき日本軍が、南京にいたのですか?」と。
するとその女性は、ますます血相を変えて、こう叫んだ。「それは、中国が日本を攻めたからです!」と。
残念ながら、明治以後、中国は、今にいたるまで、日本という国に対して、一度だって、爆弾を落としたことはない。ただの一度もない。私がそれを言うと、その女性は最後には、「あなたはそれでも、日本人ですかア!」と、言いはなった。
実に不愉快だった。それは私の全人格を否定されたかのような、不快感だった。その女性が帰ったあとも、私は、しばらく心の中の胸騒ぎを消すことができなかった。
で、しばらくして、つまり冷静になってから、私は、その女性のことを、あれこれ思い浮かべてみた。決して、「古さ」を感じさせるような女性ではなかった。都会的なファッションで、身を包んでいた。六〇代や七〇代の、戦争を経験した人が、そう言うなら、まだわかる。しかしその女性は、私より、ずっと、若かった。
私も、実は、「三〇万人説」は、でっちあげだと思う。たった数日で、それだけの人を殺そうと思ったら、想像を絶する作業になってしまう。あのドイツのアウシュビッツ収容所ですら、一日、数万人が限度だったという。
しかし残虐な殺し方であったことは事実のようだ。生き埋めにして、家族に、その上から足で踏みつけさせたという。地の中からは、生き埋めになった人の肺が、ボスンボスンと、はぜる音が聞こえたという。
……ということがきっかけで、私は「思考の老化」について、考えるようになった。
その女性は、私より、はるかに若かった。しかしどこか身勝手で、かたくなだった。そういう姿勢を見ながら、「今時、老人だって、そんな考え方はしないのに……」と思った。そしてそれが、「思考の老化」を考える、きっかけになった。
思考が老化すると、相手の立場でものを考えられなくなる。このことは、反対に、発達心理学の立場で考えてみればわかる。
子どもは、成長するにつれて、相手に対する同調性や協調性を身につける。そしてそれがさらに進むと、相手の立場で、仮に自分が経験していなくても、相手の悲しみや苦しみを、共有することができるようになる。これを「共有性」という。
しかしここで注意しなければならないことは、どの子どもも、みな、平等にそうなるわけではない。共有性どころか、同調性や協調性も未発達なまま、おとなになってしまう子どもも、少なくない。
私は、学生時代に、すでにその南京虐殺事件のことは、本で読んで知っていた。実におぞましい事件で、自分が同じ日本人であることを、のろったことさえある。そういう思いが基盤にあるから、「三〇〇〇人でも問題でしょう」という言葉が、自然と、口から出てくる。
が、その女性は、「(たった)三万人!」と言う。
つまりこれが私が言う、「思考の老化」である。
思考というのは、老化すればするほど、同調性や協調性、さらには、共有性まで失う。「がんこ」という言葉で表現されるような、簡単なことではない。相手の立場で、ものを考えることができなくなってしまう。もっとはっきり言えば、他人の悲しみや苦しみが、理解できなくなってしまう。
子どもたちと接していると、彼らがもつ生命力に、はっと驚くことがある。その生命力は、ものすごい。たとえ私が落ちこんでいても、その生命力に触れたとたん、気分そのものが晴れてしまう。それこそ、小さな魚が死んだだけで、涙をポロポロとこぼしたりする。
そういった「心の若さ」がなくなった状態が、「思考の老化」ということになる。
老人になればなるほど、他人の悲しみや苦しみが理解できるようになると考えるのは、ウソ。むしろ思考そのものが、老化してしまい、かえって鈍感になってしまう人のほうが、多い。それはちょうど、健康に似ている。健康を維持するために、いつも体を鍛えるように、思考もまた、鍛えなければならない。
【追記】
ワイフにこのことを話しているとき、ふと「思考も英語の単語と同じ」と言ってしまった。ワイフは、「?」というような顔をしていたが、こういうこと。
英語の単語も、使わなければ、忘れてしまう。一度、覚えたからといって、ずっと記憶の中に残るというわけではない。
思考力も、それと同じで、常に、磨かないと、すぐ鈍ってしまう。と、同時に、そのときから、思考の老化が始まる。
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【はやし浩司先生のプロフィール】
1947年岐阜県生まれ。
金沢大学法文学部法学科卒業。
日豪経済員会給費留学生として、オーストラリアメルボン大学ロースクール(法学院)研究生、三井物産社員、幼稚園教師を経て、浜松市にてBW(ブレイン・ワーク)教室、幼児研究所を設立。
独自の哲学・教育論をもとに幼児教育の実践を行っています。
現在は教育評論家として、ホームページやブログ、メルマガ、ユーチューブ等を利用しながら執筆活動に専念しています。
●著書に「子育て最前線のあなたへ」(中日新聞社)、「おかしな時代のまともな子育て論」(リヨン社・2002年3月発行)、「ドラえもん野比家の子育て論」(創芸社)など、30冊余り。
うち4冊は中国語にも翻訳出版されています。
「まなぶくん幼児教室」(学研)、「ハローワールド」(創刊企画・学研)などの無数の市販教材も手がけ、東洋医学、宗教論の著書も計8冊出版されています。
●教育評論家、現在浜松市伝馬町でBW教室主催。
●現在は、インターネットを中心に活動中。
メルマガ・オブ・ザ・イヤー受賞(08)、
電子マガジン読者数・計3000人(09)、ほか。
「BW公開教室」を、HP上にて、公開中。
(HPへは、「はやし浩司」で検索、「最前線の子育て論byはやし浩司」より。)
過去の代表的な著書
・・・などなど30冊余り出版されています。