
適切な幼児教育は後の人間形成において大変重要であると考えていますが注意していただきたいことがあります。
幼児教育は完璧な育児や教育を推奨するものではないということです。
・愛情が第一を忘れない
・他の子どもと比較をしない
・完璧主義にならない
・結果を期待しすぎない
・ゆったりとした心を持つ
子どもへの過剰な期待は親子共に大きなストレスになる危険性あります。
ゆったりと構え、少しくらい上手くいかなくても「まぁ、いっか。」に考えられることが幼児教育を続けられるポイントになります。
●日本語の乱れ
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たしかに、日本語が乱れている。
それはわかる。しかし……。
いろいろ議論されているが、どれも
どこか的をはずれているようにも、
感ずる。
本当に、日本語は乱れているのか?
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中学生レベルの国語力しかない学生が、国立大で …… 6%
4年生私立大で ……20%
短大で ……35%
「大学生の日本語力が低下し、中学生レベルの国語力しかない学生が国立大で6%、四年制私立大で20%、短大では35%にのぼることがわかった」というのだ。
調査したのは、独立行政法人「メディア教育開発センター」(千葉市)のON教授(コミュニケーション科学)ら。(注……04年度に入学した33大学・短大の学生約1万3000人を対象に、中1から高3相当の問題を盛り込んだテストを行い、02年度に中高生に実施したテスト結果と照らし合わせて、レベルを判定したという。)
たとえば「憂える」の意味を「喜ぶ」と思いこんでいる学生が多いなど、外国人留学生より劣る実態で、授業に支障が出るケースもあるという。同教授は「入学後の日本語のリメディアル(やり直し)教育が必要」と指摘する。
その結果、中学生レベルと判定された学生は、5年前に行われた調査と比較して、国立大が0・3%から6%、私立大が6・8%から20%、短大が18・7%から35%と、数年間で大きく増加していることが分かったという。
Yahoo・ニュースは、「テストでは『憂える』の意味を問う設問で、『中学生レベル」』と判定された学生の3人に2人が『うれしい』に音感が近いためか『喜ぶ』を選択。『大学生レベル』とされた学生の中でも正答率は50%にとどまり、文字通り“憂える”結果となった」と伝えている。
【問題の例】
☆露骨に
(1)ためらいがちに (0%)
(2)おおげさに (83.3%)
〔3〕あらわに (16.7%)
(4)下品に (0%)
(5)ひそかに (0%)
☆憂える
(1)うとましく思う (16.7%)
(2)たじろぐ (0%)
(3)喜ぶ (66.7%)
〔4〕心配する (0%)
(5)進歩する (16.7%)
☆懐柔する
(1)賄賂をもらう (50.0%)
(2)気持ちを落ち着ける(33.3%)
(3)優しくいたわる (16.7%)
〔4〕手なずける (0%)
(5)抱きしめる (0%)
(カッコ内は中学生レベルと判定された学生が回答した割合、〔 〕数字が正解)
*小数点計算で合計は必ずしも100にならない
(以上、Yahoo ニュースより)
私も、最近の子どもたちが口にする日本語には、かなり問題があると考えている。しかしそれは、個々の言葉の使われ方にあるのではなく、文全体として、問題があると考えている。数日前にも、それについて書いた。「先生、終わったら、どうするのですか?」と言った子どもがいたので、私は、こう答えてやった。
「先生は、まだ終わらない。元気でピンピンしている。先生が終わったら、葬式でもしてくれればいい」と。
こうした言い方の代表的なもののひとつに、「先生、オシッコ!」というのがある。「トイレへ行きたい」と言うべきときでも、子どもたちは、「先生、オシッコ!」と言う。だから、すかさず、私は、こう言う。「私は、オシッコではない。人間だア!」と。
で、最初の話題。つまり国語力。
「日本の論点」(04)は、「国語に関する世論調査」(04)の結果について、報告している。そして「誤った敬語を含む例文を、正しいと思う人が目立つ」と。
たとえば……
「先ほど、中村さんがお話しされたように、この本は、とても役にたちます」(まちがい)→正しくは「お話しになったように」
「先生が、お見えになります」(まちがい)→正しくは「先生が、見えます」
「ご乗車できません」(まちがい)→正しくは「ご乗車になれません」
しかしこうした議論を一巡すると、つまり、あれこれ議論をしつくすと、そこに、ふと、こんな疑念がわいてくる。つまり、これは国語力の問題ではなく、日本語そのものがもつ、欠陥(けっかん)ではないか、と。
たとえば英語で、「I go to Tokyo.」は、
「私、東京、行く」
「東京、私、行く」
「東京、行く、私」と、どんな言い方をしても、意味が通じてしまう。私が住む浜松市では、こうした言葉の間に、(ジャン)(ダニ)を入れる。たとえば、「私、東京、行く」は、「私、東京、行くジャン」と。
こうした言葉としての欠陥は、100年単位でみると、さらによくわかる。この日本では、たった100年前に書かれた文章ですら、辞書なしでは、理解することができない。200年前、300年前の文章となると、さらに、そうである。
流動的というよりも、言葉としての一貫性が、まだ確立されていない。だから今の今も、日本語は、乱れつづけている。
で、問題は、それが悪いことなのかどうかということ。最近では、コンビニ言葉につづいて、オタク言葉、さらにはネット言葉というのも、生まれている。そしてそういう言葉が、表に出てきて、日常会話の中でも使われるようになってきている。
ためしに中学生たちが話している会話に、そっと耳を傾けてみるとよい。多分、あなたは、彼らが、何を話しているか、その意味すらわからないのではないだろうか。たとえば、彼らは、こんな話し方をする。
「私、あいつにコクられて、いやだった。だって、フタマタよ。それをXXのヤツ、チクってね。あとは、シュラバ。私には、ラブな人、ちゃんといるのよ。私、マッチョは嫌い。腹筋が、8つに分かれている男なんて、サイテー。頭にきたから、デニルしてね。あとは、シカト……」と。
ついでに、若い人たちの間で、よく使われる言葉について、調べてみた。私が中学生たちから、直接、聞き取り調査したものである。
コクル……告白する。
デニル……デニーズ(レストラン)に行く。
マクル……マクドナルドに行く。
カリパク……借りたあと、返さないで、もっていること。
パクル……盗む。
シュラバ……自分のまずいところを見られること。
フタマタ……浮気のこと。二人の異性とつきあうこと。
チクル……告げ口をする。
パシリ……下っ端のこと。子分的な人のこと。
アリガチ……ありえること。
シカト……無視する。
ラブな人……好きな人。
A(エイ)……手を握るつぎの段階。(つぎに、B、Cへと進む。)
マッチョ……筋肉質の人。
もっとも、今の若い人たちは、日常的に、そういう言葉、つまり、「テメエ、殺すぞ」式の言葉を使っている。ドキッとする言い方だが、これも、ごく日常的な言い方で、特別な言い方ではない。が、その一方で、旧来型の日本語を知らないからといって、国語力が落ちていると判断するのも、どうかと思う。
つまり言葉というのは、いつも大衆が先導して決めるもの。そしてその大衆は、いつも、若い世代によって、先導される。つまり一部の学者が、おかしいと言うなら、それを言う学者のほうが、おかしいということになる。「国語に関する世論調査」(04、ON教授ほか)でも、敬語の使われ方を問題にしている。
これについても、「敬語は、日本語の美しさを代表するものだから、守るべき」という意見と、「敬語など、もうどうでもよいではないか」という意見の2つが、するどく対立している。私自身は、めったに敬語など使わない。天皇についても、「天皇が浜松へ来た」と書くことはあっても、「天皇陛下が、浜松へ、おいでになりました」と書いたことは、一度もない。
敬意を表す、表さないということではなく、どこでどのように一線を引くか、それを考えるのが、めんどうだからに過ぎない。いちいちそういうことを考えながら文を書くというのも、たいへん疲れる。それに敬語の底流にあるのは、日本人独特の、上下意識。敬語を考えるときは、いつも、その上下関係を考えなければならない。だから敬語は、無視。大きな流れとしても、敬語は、この先、消えゆく運命にある。
だから「国語に関する世論調査」そのものが、どこか、おかしい。その調査では、「敬語の使われ方がおかしいから、日本語が乱れている」というような結論を出したかったのかもしれない。しかし最近の若い人に言わせると、「今どき、敬語なんて……」ということになる。
だから視点を変えてみたら、どうだろうか。つまりここにも書いたように、個々の言葉の使われ方を問題とするのではなく、文全体として、的確に自分の意思を相手に伝えることができるかどうかという視点で、である。その際、どんな言葉が使われようが、それは問題ではない。
「今日、学校あった」(まちがい)→「今日、学校で、授業がありました」
「これは、パパが建てた家」(まちがい)→「これはパパが、買った家」
「これは、私の学校」(まちがい)→「これは、私が通っている学校」と。
で、反対に、これを調査した、「メディア教育開発センター」のON教授に、こんなテストをしてみたら、どうだろうか。はたして、ON教授は、何点取れるだろうか?
【問題の例】
☆ムッチョ
(1)むっつりしているさま
(2)貯金がないこと
〔3〕筋肉がモリモリしているさま
(4)いやがっていること
(5)怒っている様子
☆コクル
(1)告発する
(2)忠告する
(3)密告する
〔4〕告白する
(5)納得する
☆カリパク
(1)食べ物の名前
(2)借りて返すこと
(3)カリカリと怒ること
(4)道路で座ってものを食べること
〔5〕借りて返さないこと
☆アリガチ
(1)ありがた迷惑
(2)ありがとう
〔3〕ありえること
(4)ありえないこと
(5)いらぬ節介のこと
☆フタマタ
(1)2つのことを同時にすること
(2)2人の人と、同時につきあうこと
〔3〕浮気すること
(4)2つの選択肢のこと
(5)いやなこと
☆シュラバ
(1)喧嘩すること
(2)がんばること
(3)ここ一番というとき
(4)苦労すること
〔5〕何か、まずいことがバレること
日本語も、どんどんと変化している。もともと日本語という言語は、そういう言語であるということ。調査では、「憂える」の意味を知らないことを問題にしているが、実際、若い人たちが使わない言葉であれば、それもしかたないのではないか。
さらに一言つけ加えるなら、私自身は、旧世代の人たちは、もう少し、若い人たちに、謙虚であるべきではないかと思っている。繰りかえしになるが、「自分たちは知っている。しかし今の若い人たちは知らない。だから今の若い人たちは、おかしい」という論法自体が、おかしいということになる。どこかものの考え方が、復古主義的?
ただし世の親たちに一言。
高校入試にせよ、大学入試にせよ、そこで使われる入試問題は、こうしたどこか頭の古い、旧世代の人たちによって作られている。だから、子どもの(進学)ということを考えるなら、体制に迎合したほうがよい。そのほうが、あなたの子どももスイスイと、学歴社会を生きぬくことができる。
そのためにも、あなたの子どもには、ここに書いたように、正しい言葉で、かつ豊かな言葉で話しかけるとよい。「テメエ、殺すぞ」ではなく、「あなたが、そうすれば、あなたは、私によって、殺されますよ」と。
なお、上から(3)(4)(5)(3)(3)(5)の、〔かっこ〕が正解。
(はやし浩司 国語力 日本人の国語力 表現力 敬語 日本語の乱れ はやし浩司 子どもの国語力 子どもの国語力)
情報・画像の出展:はやし浩司先生
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【はやし浩司先生のプロフィール】
1947年岐阜県生まれ。
金沢大学法文学部法学科卒業。
日豪経済員会給費留学生として、オーストラリアメルボン大学ロースクール(法学院)研究生、三井物産社員、幼稚園教師を経て、浜松市にてBW(ブレイン・ワーク)教室、幼児研究所を設立。
独自の哲学・教育論をもとに幼児教育の実践を行っています。
現在は教育評論家として、ホームページやブログ、メルマガ、ユーチューブ等を利用しながら執筆活動に専念しています。
●著書に「子育て最前線のあなたへ」(中日新聞社)、「おかしな時代のまともな子育て論」(リヨン社・2002年3月発行)、「ドラえもん野比家の子育て論」(創芸社)など、30冊余り。
うち4冊は中国語にも翻訳出版されています。
「まなぶくん幼児教室」(学研)、「ハローワールド」(創刊企画・学研)などの無数の市販教材も手がけ、東洋医学、宗教論の著書も計8冊出版されています。
●教育評論家、現在浜松市伝馬町でBW教室主催。
●現在は、インターネットを中心に活動中。
メルマガ・オブ・ザ・イヤー受賞(08)、
電子マガジン読者数・計3000人(09)、ほか。
「BW公開教室」を、HP上にて、公開中。
(HPへは、「はやし浩司」で検索、「最前線の子育て論byはやし浩司」より。)
過去の代表的な著書
・・・などなど30冊余り出版されています。