
適切な幼児教育は後の人間形成において大変重要であると考えていますが注意していただきたいことがあります。
幼児教育は完璧な育児や教育を推奨するものではないということです。
・愛情が第一を忘れない
・他の子どもと比較をしない
・完璧主義にならない
・結果を期待しすぎない
・ゆったりとした心を持つ
子どもへの過剰な期待は親子共に大きなストレスになる危険性あります。
ゆったりと構え、少しくらい上手くいかなくても「まぁ、いっか。」に考えられることが幼児教育を続けられるポイントになります。
●自己嫌悪→自己否定→自暴自棄
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ときどき、私は、自分がいやになることがある。
いやになって、何もかも破壊したくなることがある。
死にたいと思うことさえある。しかしその勇気も
度胸もない。だから生きているだけ……?
そんなふうに感じることもある。
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私は、ちょっとしたきっかけで、よく自己嫌悪に陥(おちい)る。が、そこで止まるわけではない。それが瞬間的に増幅されて、自己否定へとつながり、しばらくすると、今度は、何もかもいやになる。何もかも、破壊したくなる。
ただ幸いなことに、そうした状態になるのは、家の中だけ。外の世界や、仕事の世界では、ならない。かろうじてだが、そういう意味では、自己管理能力が、まだしっかりしている。しかし私のワイフこそ、えらい迷惑。そのため、離婚騒動など、毎年恒例。今では、「離婚」を考えるのも、めんどうになった。
こういう私のゆがんだ性格は、私が幼児のときに、心の中に作られた。今なら確信をもって、そう断言することができる。私は、4、5歳のころから、両親の夫婦げんかを、数日おきに見て育った。それが私の心のキズ(トラウマ)となった。
そこで私は、多分、現実の世界から逃れるために、心の中にもうひとつ別の私をつくった。冒頭に「破壊したくなる」と書いたが、それは、自暴自棄に近い状態をいう。たとえて言うなら、将棋をさしていて、途中で、何かヘマをすると、駒を投げて投了するようなもの。まだ負けたと決まっているわけでもないのに、先を悲観して、そうなってしまう。
そういうときの私は、生きていることさえ、いやになる。が、自分で死ぬほどの勇気も度胸もない。だから家を飛び出したようなときには、内心では、「だれかが、車で自分をハネてくれればいい」などと思う。そう思いながら、道をトボトボと歩く。
あえて言うなら、私のワイフは、私のことを愛してはいないと思う。ただ、今、いっしょに住んでいるのは、心理学でいう、「共依存」のようなもの。ワイフにすれば、見るに見かねて、しかたないからいっしょに、いる、といった感じ。ワイフは、「そうでない」とよく言ってくれるが、私は、どうしても自分の心を開くことができない。だから、そういう精神状態になると、ワイフも含めて、他人を信ずることができない。
さみしい男だと、自分でもわかっている。が、そういう私が、同時に、ワイフをも、さみしい思いにさせている。それもわかっている。夫婦なのだから、たがいの心を全部開いて、ウソ隠しなく、自分をさらけだす。その大切さはわかっているが、どうしても私には、できない。
これはたとえて言うなら、過去の不倫や浮気を、どこまでさらけ出せるかという問題に似ている。過去に不倫や浮気をしたことがある夫や、妻は、それを今の妻や夫に、話すことができるだろうか。許しを乞うためでもでも、よい。それを話すことができるだろうか。たがいに心を開くということには、そういうところまで、ウソ隠しなく話す……という意味まで含まれる。
が、ここで重要なことは、こうした心理状態は、私という、どこか特殊な人間のことであって、そのままそれが、みなに、当てはまるということではない。私はそういう点では、不幸にして不幸な家庭に育った。親類の人たちは、子どものころの私を思い出して、こう言う。「浩ちゃんは、いつも明るく、ニコニコ笑っていた」「愛想のいい子どもだった」と。
しかしそれこそ、まさに捨て犬の根性。私はだれにでもシッポを振る、そんな子どもだった。忠誠心は、ゼロ。いつも損得の計算ばかりしていた。そして結局は、だれにも心を開かなかったし、開けなかった。本当の自分をさらけ出したくても、本当の自分がどこにいるかさえ、わからなかった。
私の中に、もう1人の「私」ができたのは、そのころである。
明るく人づきあいのよい私。が、それは仮面。人に好かれるための仮面。が、そうした生きザマは、猛烈なストレスを内へ内へとためこむ。それがあるとき、臨界点に達したとき、爆発する。それが冒頭に書いた、自己嫌悪である。
ワイフはこう言う。「私たちは、いろいろなことをしてきたわ。ふつうの夫婦たちよりも、何倍も、何倍も、濃密な思い出をもっているわ。どうしてあなたは、そういう思い出まで、否定してしまうのよ」と。
が、自暴自棄になった私には、それが理解できない。幸福だった日々のほうこそ、幻想のように思ってしまう。無価値で、無意味、と。だからそれらが破壊されてしまったとしても、おしいとは思わない。そういう心境になる。つまり、その時点で、自ら死ぬことで、命を断ったとしても、おしいとは思わない。自暴自棄という状態が極限まで進んだとき、そこにあるのは、自殺ということになる。
が、おかしなことに、そういう状態になっても、もう1人の自分が消えるわけではない。もう1人の自分、それを「正常な私」とするなら、その正常な私が、自暴自棄になった私に、ブレーキをかける。「よせよせ、そんなことをして、何になるのだ」「もうやめろ」「お前はバカなことをしている」と。
しかしこの問題は、脳のCPU(中央演算装置)にかかわっている。だから、どちらが本当の私で、どちらがニセの私なのか、わからなくなる。どちらも、本当の私ということになる。
が、夫婦や家庭は、円満であるほうが、よい。けんかするより、仲がよいほうがよい。だから結局は、もとのサヤに収まることになる。時間にすれば、半日か、1日程度か。たいてい私のほうが、「悪かった」「ごめんね」で終わる。
で、こうして私の心のキズは、今日もつづく。明日も、つづく。このまま一生、つづく。心のキズというのは、そういうもの。そしてこうした心のキズをもっている人は、いくらでもいる。ほとんどの人が、もっていると言っても過言ではない。だれしも、何らかのキズをもっている。
そこで大切なことは、こうした心のキズがあることが問題ではなく、心のキズがあることに気づかないまま、同じ失敗を繰りかえすこと。それが問題。それに気づいたら、あとは、そのキズとうまくつきあって生きていく。仲よく、つきあって生きていく。
消そうとしたところで、心のキズなど、簡単に消えるものではない。
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私はあるとき、自分が、捨て犬と同じ
根性をもっていることを知った。
情報・画像の出展:はやし浩司先生
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【はやし浩司先生のプロフィール】
1947年岐阜県生まれ。
金沢大学法文学部法学科卒業。
日豪経済員会給費留学生として、オーストラリアメルボン大学ロースクール(法学院)研究生、三井物産社員、幼稚園教師を経て、浜松市にてBW(ブレイン・ワーク)教室、幼児研究所を設立。
独自の哲学・教育論をもとに幼児教育の実践を行っています。
現在は教育評論家として、ホームページやブログ、メルマガ、ユーチューブ等を利用しながら執筆活動に専念しています。
●著書に「子育て最前線のあなたへ」(中日新聞社)、「おかしな時代のまともな子育て論」(リヨン社・2002年3月発行)、「ドラえもん野比家の子育て論」(創芸社)など、30冊余り。
うち4冊は中国語にも翻訳出版されています。
「まなぶくん幼児教室」(学研)、「ハローワールド」(創刊企画・学研)などの無数の市販教材も手がけ、東洋医学、宗教論の著書も計8冊出版されています。
●教育評論家、現在浜松市伝馬町でBW教室主催。
●現在は、インターネットを中心に活動中。
メルマガ・オブ・ザ・イヤー受賞(08)、
電子マガジン読者数・計3000人(09)、ほか。
「BW公開教室」を、HP上にて、公開中。
(HPへは、「はやし浩司」で検索、「最前線の子育て論byはやし浩司」より。)
過去の代表的な著書
・・・などなど30冊余り出版されています。