早期教育について

 

適切な幼児教育は後の
人間形成において大変重
要であると考えています
が注意していただきたい
ことがあります。
幼児教育は完璧な育児や
教育を推奨するものでは
ないということです。


 ・愛情が第一を忘れない
 ・他の子どもと比較をしない
 ・完璧主義にならない
 ・結果を期待しすぎない
 ・ゆったりとした心を持つ
 子どもへの過剰な期待は
 親子共に大きなストレス
 になる可能性があります。
 ゆったりと構え、少しくら
 い上手くいかなくても
 「まぁ、いっか。」
 位に考えられることが幼
 児教育を続けられるポイ
 ントになります。 

早期教育について  はやし浩司先生の子どもの問題・悩みQ&A

はやし浩司先生【Q1】年中児の男の子です。今、K式の算数教室に通っています。自分でも少し早いかなと思


っていますが、先生は、こうした教育をどう思いますか。

【A、はやし浩司より】

 幼児教育と早期教育、それに先取り教育の三つは、それぞれ分けて考えます。幼児教育と
いうのは、体系化された教育の中で、幼児期にする教育をいいます。たとえば幼児の発達に
応じた、情操や体操などの教育をいいます。

 早期教育というのは、子どもの方向性をできるだけ早く見極め、その方向性にそって、子ども
自身がもつ才能や能力を、早い時期に伸ばすという教育です。音楽教育や絵画教育の面にお
いて、とくに有効だとされています。

 先取り教育というのは、体系化された教育の中で、たとえば小二でする学習を小一でしてみ
たり、あるいは小一でする学習を、幼稚園でするような教育をいいます。幼稚園でも、今、掛け
算の九九を教えているところは、少なくありません。が、その中でも、とくに能力がすぐれた子ど
もにする教育のことを、英才教育といいますが、ここで大きな問題にぶつかります。こうした早
期教育が、はたして有効かどうかという問題です。

 やり方をまちがえると、子どもにとっては、過負担になり、それがかえって子どもの伸びる芽
を摘んでしまうことになりかねません。

 そこで先取り教育をするにも、子どもの能力を慎重に見極めながら、無理をしないことを大切
にしてください。とくに子どもがオーバーヒートする様子を見せたら、とにかく無理をしないこと。
この時期、一度、勉強嫌いにすると、あとがありません。

 それよりも大切なことは、この時期は、忍耐力を養っておくこと。「いやなことをする力」のこと
を忍耐力といいます。それについての原稿を添付しておきますので、また参考にしてください。

 そしてもし「先取り……」を考えるなら、この時期は、何にもまして「好きにさせる」ことを大切
にします。学習について言えば、「勉強は楽しい」という思いを、じょうずに子どもの中に育てて
いきます。たとえば文字学習にしても、「文字は楽しい」ということを教えていきます。そのため
には、たとえばお母さんが暖かい息を吹きかけながら、本を読んであげるなど。そういう前向き
な思い出が積み重なって、子どもは勉強好きになり、あとは自分で伸びていくようになります。

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子どもをよい子にしたいとき 

●どうすれば、うちの子は、いい子になるの?
 「どうすれば、うちの子どもを、いい子にすることができるのか。それを一口で言ってくれ。私
は、そのとおりにするから」と言ってきた、強引な(?)父親がいた。「あんたの本を、何冊も読
む時間など、ない」と。私はしばらく間をおいて、こう言った。「使うことです。使って使って、使い
まくることです」と。

 そのとおり。子どもは使えば使うほど、よくなる。使うことで、子どもは生活力を身につける。
自立心を養う。それだけではない。忍耐力や、さらに根性も、そこから生まれる。この忍耐力や
根性が、やがて子どもを伸ばす原動力になる。

●一〇〇%スポイルされている日本の子ども?
 ところでこんなことを言ったアメリカ人の友人がいた。「日本の子どもたちは、一〇〇%、スポ
イルされている」と。わかりやすく言えば、「ドラ息子、ドラ娘だ」と言うのだ。そこで私が、「君
は、日本の子どものどんなところを見て、そう言うのか」と聞くと、彼は、こう教えてくれた。「とき
どきホームステイをさせてやるのだが、食事のあと、食器を洗わない。片づけない。シャワーを
浴びても、あわを洗い流さない。朝、起きても、ベッドをなおさない」などなど。つまり、「日本の
子どもは何もしない」と。反対に夏休みの間、アメリカでホームステイをしてきた高校生が、こう
言って驚いていた。「向こうでは、明らかにできそこないと思われるような高校生ですら、家事だ
けはしっかりと手伝っている」と。ちなみにドラ息子の症状としては、次のようなものがある。

●ドラ息子症候群
?ものの考え方が自己中心的。自分のことはするが他人のことはしない。他人は自分を喜ば
せるためにいると考える。ゲームなどで負けたりすると、泣いたり怒ったりする。自分の思いど
おりにならないと、不機嫌になる。あるいは自分より先に行くものを許さない。いつも自分が皆
の中心にいないと、気がすまない。
?ものの考え方が退行的。約束やルールが守れない。目標を定めることができず、目標を定
めても、それを達成することができない。あれこれ理由をつけては、目標を放棄してしまう。ほ
しいものにブレーキをかけることができない。生活習慣そのものがだらしなくなる。その場を楽
しめばそれでよいという考え方が強くなり、享楽的かつ消費的な行動が多くなる。
?ものの考え方が無責任。他人に対して無礼、無作法になる。依存心が強い割には、自分勝
手。わがままな割には、幼児性が残るなどのアンバランスさが目立つ。
?バランス感覚が消える。ものごとを静かに考えて、正しく判断し、その判断に従って行動する
ことができない、など。

●原因は家庭教育に
 こうした症状は、早い子どもで、年中児の中ごろ(四・五歳)前後で表れてくる。しかし一度こ
の時期にこういう症状が出てくると、それ以後、それをなおすのは容易ではない。ドラ息子、ド
ラ娘というのは、その子どもに問題があるというよりは、家庭のあり方そのものに原因がある
からである。また私のようなものがそれを指摘したりすると、家庭のあり方を反省する前に、叱
って子どもをなおそうとする。あるいは私に向かって、「内政干渉しないでほしい」とか言って、
それをはねのけてしまう。あるいは言い方をまちがえると、家庭騒動の原因をつくってしまう。

●子どもは使えば使うほどよい子に
 日本の親は、子どもを使わない。本当に使わない。「子どもに楽な思いをさせるのが、親の愛
だ」と誤解しているようなところがある。だから子どもにも生活感がない。「水はどこからくるか」
と聞くと、年長児たちは「水道の蛇口」と答える。「ゴミはどうなるか」と聞くと、「どこかのおじさん
が捨ててくれる」と。あるいは「お母さんが病気になると、どんなことで困りますか」と聞くと、「お
父さんがいるから、いい」と答えたりする。生活への耐性そのものがなくなることもある。友だち
の家からタクシーで、あわてて帰ってきた子ども(小六女児)がいた。話を聞くと、「トイレが汚れ
ていて、そこで用をたすことができなかったからだ」と。そういう子どもにしないためにも、子ども
にはどんどん家事を分担させる。子どもが二〜四歳のときが勝負で、それ以後になると、この
しつけはできなくなる。

●いやなことをする力、それが忍耐力
 で、その忍耐力。よく「うちの子はサッカーだと、一日中しています。そういう力を勉強に向け
てくれたらいいのですが……」と言う親がいる。しかしそういうのは忍耐力とは言わない。好き
なことをしているだけ。幼児にとって、忍耐力というのは、「いやなことをする力」のことをいう。
たとえば台所の生ゴミを始末できる。寒い日に隣の家へ、回覧板を届けることができる。風呂
場の排水口にたまった毛玉を始末できる。そういうことができる力のことを、忍耐力という。

こんな子ども(年中女児)がいた。その子どもの家には、病気がちのおばあさんがいた。そのお
ばあさんのめんどうをみるのが、その女の子の役目だというのだ。その子どものお母さんは、
こう話してくれた。「おばあさんが口から食べ物を吐き出すと、娘がタオルで、口をぬぐってくれ
るのです」と。こういう子どもは、学習面でも伸びる。なぜか。

●学習面でも伸びる
 もともと勉強にはある種の苦痛がともなう。漢字を覚えるにしても、計算ドリルをするにして
も、大半の子どもにとっては、じっと座っていること自体が苦痛なのだ。その苦痛を乗り越える
力が、ここでいう忍耐力だからである。反対に、その力がないと、(いやだ)→(しない)→(でき
ない)→……の悪循環の中で、子どもは伸び悩む。

 ……こう書くと、決まって、こういう親が出てくる。「何をやらせればいいのですか」と。話を聞く
と、「掃除は、掃除機でものの一〇分もあればすんでしまう。買物といっても、食材は、食材屋
さんが毎日、届けてくれる。洗濯も今では全自動。料理のときも、キッチンの周囲でうろうろさ
れると、かえってじゃま。テレビでも見ていてくれたほうがいい」と。

●家庭の緊張感に巻き込む
 子どもを使うということは、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。親が寝そべってテレビを見
ながら、「玄関の掃除をしなさい」は、ない。子どもを使うということは、親がキビキビと動き回
り、子どももそれに合わせて、すべきことをすることをいう。たとえば……。
 あなた(親)が重い買い物袋をさげて、家の近くまでやってきた。そしてそれをあなたの子ども
が見つけたとする。そのときさっと子どもが走ってきて、あなたを助ければ、それでよし。しかし
知らぬ顔で、自分のしたいことをしているようであれば、家庭教育のあり方をかなり反省したほ
うがよい。やらせることがないのではない。その気になればいくらでもある。食事が終わった
ら、食器を台所のシンクのところまで持ってこさせる。そこで洗わせる。フキンで拭かせる。さら
に食器を食器棚へしまわせる、など。

 子どもを使うということは、ここに書いたように、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。たとえ
ば親が、何かのことで電話に出られないようなとき、子どものほうからサッと電話に出る。庭の
草むしりをしていたら、やはり子どものほうからサッと手伝いにくる。そういう雰囲気で包むこと
をいう。何をどれだけさせればよいという問題ではない。要はそういう子どもにすること。それ
が、「いい子にする条件」ということになる。

●バランスのある生活を大切に
 ついでに……。子どもをドラ息子、ドラ娘にしないためには、次の点に注意する。?生活感の
ある生活に心がける。ふつうの寝起きをするだけでも、それにはある程度の苦労がともなうこ
とをわからせる。あるいは子どもに「あなたが家事を手伝わなければ、家族のみんなが困るの
だ」という意識をもたせる。?質素な生活を旨とし、子ども中心の生活を改める。?忍耐力をつ
けさせるため、家事の分担をさせる。?生活のルールを守らせる。?不自由であることが、生
活の基本であることをわからせる。そしてここが重要だが、?バランスのある生活に心がけ
る。

 ここでいう「バランスのある生活」というのは、きびしさと甘さが、ほどよく調和した生活をいう。
ガミガミと子どもにきびしい反面、結局は子どもの言いなりになってしまうような甘い生活。ある
いは極端にきびしい父親と、極端に甘い母親が、それぞれ子どもの接し方でチグハグになって
いる生活は、子どもにとっては、決して好ましい環境とは言えない。チグハグになればなるほ
ど、子どもはバランス感覚をなくす。ものの考え方がかたよったり、極端になったりする。

子どもがドラ息子やドラ娘になればなったで、将来苦労するのは、結局は子ども自身。それを
忘れてはならない。

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動機づけの四悪

 子どもから学習意欲を奪うものに、?無理、?強制、?条件、?比較の四つがある。これ
を、『動機づけの四悪』という。

 まず?無理。その子どもの能力を超えた無理をすれば、子どもでなくても、学習意欲をなくし
て当然。よくある例が、子どもに難解なワークブックを押しつけ、それで子どもの学習意欲をそ
いでしまうケース。子どもの勉強は、「量」ではなく「密度」。短時間でパッパッとすますようであ
れば、それでよし。……そうであるほうが好ましい。また子どもに自分でさせる勉強は、能力よ
り一ランクさげたレベルでさせるのが、コツ。ワークやドリルなど、半分がお絵描きになってもよ
い。答が合っているかどうかということよりも、「ワークを一冊、やり終えた」という達成感を大切
にする。

 ?強制。ある程度の強制は勉強につきものだが、程度を超えると、子どもは勉強嫌いにな
る。時間の強制、量の強制など。こんなことを相談してきた母親がいた。「うちの子は、プリント
を二枚なら、何とかやるのですが、三枚目になると、どうしてもしません。どうしたらいいでしょう
か」と。私は「二枚でやめることです」と答えたが、その通り。このタイプの母親は、仮に子ども
が三枚するようになればなったで、「今度は四枚しなさい」と言うに違いない。子どももそれを知
っている。
 ?条件。「この勉強が終わったら、△△を買ってあげる」「一〇〇点を取ったら、お小づかい
を一〇〇円あげる」というのが条件。親は励ましのつもりでそうするが、こういう条件は、子ども
から「勉強は自分のためにするもの」という意識を奪う。そればかりではない。子どもが小さい
うちは、一〇〇円、二〇〇円ですむが、やがてエスカレートして、手に負えなくなる。「(学費の
安い)公立高校へ入ってやったから、バイクを買ってくれ」と、親に請求した子ども(高一男子)
がいた。そうなる。

 最後に?比較。「近所のA君は、もうカタカナが書けるのよ」「お兄ちゃんは、算数が得意なの
に、あなたはダメね」など。こういう比較は、一度クセになると、日常的にするようになるから、
注意する。子どもは、いつも他人の目を気にするようになり、それが子どもから、「私は私。人
は人」というものの考え方を奪う。

 イギリスでは、『馬を水場へ連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない』と言う。
子どもを馬にたとえるのも失礼なことかもしれないが、親のできることにも限界があるというこ
と。ではどうするか。もう一つイギリスには、『楽しく学ぶ子どもは、よく学ぶ』という格言もある。
つまり子どもに勉強をさせたかったら、勉強は楽しいということだけを教えて、あとは子どもに
任す。たとえば文字。いきなり文字を教えるのではなく、いつも子どもをひざに抱いて、本を読
んであげるなど。そういう経験が、子どもをして、「本は楽しい」「文字はおもしろい」というふうに
思わせるようになる。そしてそういう「思い」が、文字学習の原動力となっていく。子どもの勉強
をみるときは、「何をどの程度できるようになったか」ではなく、「何をどの程度楽しんだか」をみ
るようにする。

●子どもの問題・・・子どもに関する問題 ●親子の問題・・・親子に関する問題
●家庭の問題・・・夫婦家族に関する問題 ●その他・・・その他の問題


情報・画像の出展:はやし浩司先生

※このページの文章・及び画像の著作権は「はやし浩司」様が保有しています。
当サイトでは「はやし浩司」様のご厚意により許可を得て掲載させていただいております。


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