月齢の目安が比較と不安を生む

 

適切な幼児教育は後の
人間形成において大変重
要であると考えています
が注意していただきたい
ことがあります。
幼児教育は完璧な育児や
教育を推奨するものでは
ないということです。


 ・愛情が第一を忘れない
 ・他の子どもと比較をしない
 ・完璧主義にならない
 ・結果を期待しすぎない
 ・ゆったりとした心を持つ
 子どもへの過剰な期待は
 親子共に大きなストレス
 になる可能性があります。
 ゆったりと構え、少しくら
 い上手くいかなくても
 「まぁ、いっか。」
 位に考えられることが幼
 児教育を続けられるポイ
 ントになります。 

月齢の目安が比較と不安を生む    T.O.E.メソッド理論編



序章でも触れましたが、私はこの月齢・年齢の発達標準などというものが健全な育児を妨げ、ご両親の不安を煽る一つの原因となっているのではないか?と思えてなりません。

発達検査と言えば、遠城寺式乳幼児分析的発達検査やデンバー?発達判定法などという辺りが有名ですが、最近育児雑誌や育児情報サイトなどでオープンにされている発達標準の目安はどうもそれらの検査よりかなり緩やかな振り幅で紹介されているように思います。

理由は言うまでもなく、情報発信先が不特定の大多数を対象とするマスメディアであった場合に、お子さんが発達の「標準値」に入らなかった親御さんの中には過剰なほどにお子さんの発達を心配する方も多数おられるからです。

ですから本当の平均値よりもやや遅めの数字が「平均」として紹介され、ママ情報の間では「このくらいの時期までは心配ないわよ、大丈夫よ〜」という言葉が広まっていきました。

確かに一人の人間の成長として見た場合の心配事は9.9割がた大抵「何も心配はない」だろうと思います。
ただ、前にも述べましたが「何をもって大丈夫とするのか?」は大いに考えねばならないところだろうと思うのです。
偏差値50程度の高校に入って偏差値50程度の大学に入れれば大丈夫よ〜、という意味で使っておられるのでしょうか。いや、どうもそういうワケでもないようです。

幼児期には「うちはのびのび育てているから〜」と仰っていたお母様も高校・大学となると「出来れば上位校に。有名校に!」と願われる場合が多いようです。

幼稚園や小学校の個人面談で出る質問の上位も「ウチの子はきちんと授業についていけていますか?何か遅れている面はありませんか?」です。
どうも日本人というのは「平均」や「集団」から僅かでも遅れることを過剰に心配する傾向が強いようです。
多くの親御さんが「平均値」を気にしすぎるあまり、「ややゆるめ」の平均値情報がマスメディアによって広がりその結果を目標に育児していく人が増えた結果、全体としての子どもの発達平均が本当に低い数字に年々移り変わっていく・・・。
そんな傾向が昭和の中頃からもう随分と長い間続いてきたような気もするのです。

幼児期、幼児教室や習い事に通わせる事の一番の弊害は「親が他人の子どもと我が子を比べてしまう事だ」とされています。
逆に言えば、我が子をよその子と比較さえしなければ、習い事からはもっともっと益を受ける事が出来るのです。

同年齢の子を横並びに比較しようとするのではなく、「我が子は今 発達の旅路をここまで歩んできたのだ。登ってきたのだ」という点にだけ着目すれば、育児にまつわる心配などほとんどが消えてしまう事でしょう。

また、近年「競争したら、勝てない子が可哀相だ」という考え方が主流になり、運動会でも順位をつけなかったり、テストの点数を表記しなかったりしています。しかし「正当に評価してもらえない出来る子」は可哀相ではないのでしょうか。
私も昭和50年台初頭にそういう教育のはしりを受けて育ちましたが、いくら頑張っても自分の努力を評価してもらえない感じがしてとても悲しかったのを覚えています。

競争、と言いますか「競い合い」はとても大切だと私は思います。
動物の集団では、子ども達は幼い頃からよくケンカ遊びをするものです。そうやって互いの力量を確認し合い、集団の中で自分の位置を学び、他のメンバーと上手く協調していく手段を学びます。

そして動物の群れでも決して強い子や勝った子が無条件に偉いというワケではないのです。
狼の群れが顕著な例ですが、子どもの頃のケンカ遊びの優劣で「狩りの際の担当位置」が決まります。一番強いリーダーが最も危険でもっとも勇気のいる部署担当なのは当然です。

どのメンバーが欠けてもスムーズな狩りは成立しません。
野球やサッカーと同じで、どのポジションだって欠けたら困る大切な位置なのです。

競争によって他人を蹴落としたり、足を引っ張ったり・・・というのは、競争の目的が「一番になる事」「他人に勝つ事」という、やはり「横並びの観点」で考えているからではないでしょうか。だから相手を引きずり落としてでも自分さえトップに出られればいい・・・という考えになる。

そうではなくて競い合いの目標を「自分がこの課題をクリアする事だ!」という風に自分自身の問題にのみ置いてみたらどうでしょう。
ライバルが自分より早く課題クリアしたとしても、それは自分の挑戦とは何の関係もありません。むしろライバルとどちらが早くクリア出来るか競い合うことで違いに頑張り合えるというメリットもあるでしょう。

あくまで本来の目標は相手に勝つことなどではなく、トップに立つ事でもなく、「自分を成長させる事なのですから」
それに心が豊かに育っていれば、卑怯な真似をして万全の状態でない相手に勝ったところで嬉しいとは思わない事でしょう。
また常々疑問に思うのは「標準値」は「正常値」なのか?

さらには
「標準値なら健康なのか?適切な発達なのか?」ということです。
「標準値」といわれる数字が一人歩きしていませんか?その数字の中に収まっていないと「我が子はどこかおかしいのでは」と不安になる状況は如何なものでしょうか?

大勢の人々と同じならばそれで良いのですか?
もしも日本中の育児がおかしくなっていたらどうしますか?
今まで正しいとされてきた育児常識が間違いだらけだったとしたらどうしますか?
現在の「標準値」は本当に理想的で適切な発育の結果なのでしょうか?


20年前にはこんなに一般的ではなかったアトピーやアレルギー病でしたが、最近では何かのアレルギー疾患を持たない子どもを探す方が難しいくらいです。
このような育児常識が子どもにとって適切だとは思えません。現在の発達標準がヒトとしての本当に平均的な能力を発揮した結果だとは到底思えないのです。

大切なのは「標準値」などに惑わされて一喜一憂する事ではなく、お子さん一人一人の成長・発達を見つめて「昨日の我が子よりどれだけ伸びたか? 1ヶ月前の我が子よりどれだけ伸びたか? 1年前の我が子よりどれだけ?」と個人の中で比較する事ではありませんか。
それでこそ初めて数字的に意味のある大切な判断材料になるのではありませんか。

他人と比較して一体何になるでしょう。
我が子と他人の子を比較してついつい我が子を傷つける言葉を無意識に言ってしまう、という過ちは非常に多くの親御さんがやってしまうものです。
親御さん自身は本当に何の気無しに軽い気持ちで言ってしまいますが、その言葉がお子さんの深層心理、潜在意識に深く残るということは実に多いのです。
どうぞ、まだお子さんが0〜3歳のウチに「他人の子や標準値・平均値と比較する」という悪習慣を意識的に取り除く努力を始めてみて下さい。

親御さんがそのような良い心構えの習慣を身につけていてさえくれれば、子どもはまったく何の指導をしなくても自然にその心構えを潜在意識レベルで習得して育っていきます。
この件にはまた次章でも触れます。


次ページ→12・夜泣き



1・脳とシナプスの成長 2・脳とシナプスの成長2 3・臨界期(クリティカル・ピリオド)
4・臨界期(クリティカル・ピリオド)2 5・潜在意識と顕在意識 6・ヒトという生物が歩む正しいみちすじ
7・各発達段階で心がけたい事と気をつけたい事 8・転動的推理(前概念的推理) 9・直観的思考
10・具体的操作の段階 11・月齢の目安が比較と不安を生む 12・夜泣き
13・夜泣き2
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