「人間は動物」 はやし浩司先生の育児・教育指導
このところおかしな現象が身のまわりで起きている。
たとえばレストランで食事をしたとする。そこで人々が食事をしている人を見ていると、そういう人たちが人間というより、動物に見えてくるのだ。
みながみなではないが、しかし10人もいると、そのうち7〜8人が、そう見えてくる。(だからといってそういう人たちをバカにしているというのではない。誤解がないように!)
「食べる」という、動物全体に共通する行為を見ていることもある。
それはあるが、しかしそのときだ。
私は人間は動物と同じと感ずると同時に、動物も人間と同じと感ずる。
どちらでもよいが、人間と動物を区別するものが何なのか、それがその瞬間わからなくなる。(だからといって人間が愚かだと言っているのでもない。誤解がないように。)
たとえばきのうも、ななめ向こうの席で、ひとりスポーツウェアの中学生が食事をしていた。
弟らしき子どももその横にいたが、その弟はよく見えなかった。
反対側に父親もいた。私がその中学生が気になったのは、ハンバーグののった皿に、直接口をつけ、フォークでその料理をガツガツと口の中にかき込んでいたからだ。(欧米の習慣では、皿に口をつけて食べるのは、最悪のマナーということになっている。実際にはそういう食べ方をする人はいない。)
で、その様子を観察すると、食事を楽しむというよりは、まさに胃袋にモノを詰め込んでいるといったふう。しかも目つきが死んだ魚のようで、その上表情がなく、正直言って、不気味だった。
私が女房に、「人間が万物の霊長だというのは、ウソだね」と話すと、女房もそれに同意した。
いや、人間が動物的であることが悪いのではない。
人間も一度、自分たちは動物であるという視点で、見なおす必要があるということ。
人間だけが特別の存在であると考えるほうがおかしい。
つまりその上で、教育がどうあるべきかを考えるということ。
よく「日本の教育は子どもに考えることを教えない」という。
しかし日本に住んでいると、それがよくわからない。「考える」という言葉の意味すら、よくわかっていないのでは? 人間が人間なのは、考えるからであって、言いかえると、考えなければ、人間は人間としての価値をなくす。
日本の教育には、そういう基本的な視点が欠けている。
……話が脱線したが、こんな格言もある。
「思考はヒゲのようなものである。成長するまでは生えない」(ヴォルテール「断片」)と。
教育にも限界があるということか。あるいはひょっとしたら、何もしないことが教育になるのかもしれない。
はやし浩司先生の育児・幼児教育コーナー11
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【はやし浩司先生のプロフィール】
1947年岐阜県生まれ。
金沢大学法文学部法学科卒業。
日豪経済員会給費留学生として、オーストラリアメルボン大学ロースクール(法学院)研究生、三井物産社員、幼稚園教師を経て、浜松市にてBW(ブレイン・ワーク)教室、幼児研究所を設立。
独自の哲学・教育論をもとに幼児教育の実践を行っています。
現在は教育評論家として、ホームページやブログ、メルマガ、ユーチューブ等を利用しながら執筆活動に専念しています。
●著書に「子育て最前線のあなたへ」(中日新聞社)、「おかしな時代のまともな子育て論」(リヨン社・2002年3月発行)、「ドラえもん野比家の子育て論」(創芸社)など、30冊余り。
うち4冊は中国語にも翻訳出版されています。
「まなぶくん幼児教室」(学研)、「ハローワールド」(創刊企画・学研)などの無数の市販教材も手がけ、東洋医学、宗教論の著書も計8冊出版されています。
●教育評論家、現在浜松市伝馬町でBW教室主催。
●現在は、インターネットを中心に活動中。
メルマガ・オブ・ザ・イヤー受賞(08)、
電子マガジン読者数・計3000人(09)、ほか。
「BW公開教室」を、HP上にて、公開中。
(HPへは、「はやし浩司」で検索、「最前線の子育て論byはやし浩司」より。)
過去の代表的な著書
・・・などなど30冊余り出版されています。