「溺愛ママ」 はやし浩司先生の育児・教育指導
親が子どもに感ずる愛には、3種類ある。本能的な愛、代償的な愛、それに真の愛である。本能的な愛というのは、若い男性が女性の裸を見たときに感ずるような愛をいう。たとえば母親は赤ん坊の泣き声を聞くと、いたたまれないほどのいとおしさを感ずる。それが本能的な愛で、その愛があるからこそ親は子どもを育てる。もしその愛がなければ、人類はとっくの昔に滅亡していたことになる。
つぎに代償的な愛というのは、自分の心のすき間を埋めるために子どもを愛することをいう。一方的な思い込みで、相手を追いかけまわすような、ストーカー的な愛を思い浮かべればよい。相手のことは考えない、もともとは身勝手な愛。子どもの受験競争に狂奔する親も、同じように考えてよい。「子どものため」と言いながら、結局は親のエゴを子どもに押しつけているだけ。
三つ目に真の愛というのは、子どもを子どもとしてではなく、一人の人格をもった人間と意識したとき感ずる愛をいう。その愛の深さは子どもをどこまで許し、そして忘れるかで決まる。英語では『Forgive & Forget(許して忘れる)』という。つまりどんなに子どものできが悪くても、また子どもに問題があっても、自分のこととして受け入れてしまう。その度量の広さこそが、まさに真の愛ということになる。
それはさておき、このうち本能的な愛や代償的な愛に溺れた状態を、溺愛という。たいていは親側に情緒的な未熟性や精神的な問題があって、そこへ夫への満たされない愛、家庭不和、騒動、家庭への不満、あるいは子どもの事故や病気などが引き金となって、親は子どもを溺愛するようになる。
溺愛児は親の愛だけはたっぷりと受けているため、過保護児に似た症状を示す。(1)幼児性の持続(年齢に比して幼い感じがする)、(2)人格形成の遅れ(「この子はこういう子だ」というつかみどころがはっきりしない)、(3)服従的になりやすい(依存心が強いわりに、わがままで自分勝手)、(4)退行的な生活態度(約束や目標が守れず、生活習慣がだらしなくなる)など。全体にちょうどひざに抱かれておとなしくしているペットのような感じがするので、私は「ペット児」(失礼!)と呼んでいる。柔和で、やさしい表情をしているが、生活力やたくましさに欠ける。
溺愛ママは、それを親の深い愛と誤解しやすい。中には溺愛していることを誇る人もいる。が、溺愛は愛ではない。このテストで高得点だった人は、まずそのことをはっきりと自分で確認すること。そしてつぎに、その上で、子どもに生きがいを求めない。子育てを生きがいにしない。子どもに手間、ヒマ、時間をかけないの3原則を守り、子育てから離れる。
はやし浩司先生の育児・幼児教育コーナー6
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【はやし浩司先生のプロフィール】
1947年岐阜県生まれ。
金沢大学法文学部法学科卒業。
日豪経済員会給費留学生として、オーストラリアメルボン大学ロースクール(法学院)研究生、三井物産社員、幼稚園教師を経て、浜松市にてBW(ブレイン・ワーク)教室、幼児研究所を設立。
独自の哲学・教育論をもとに幼児教育の実践を行っています。
現在は教育評論家として、ホームページやブログ、メルマガ、ユーチューブ等を利用しながら執筆活動に専念しています。
●著書に「子育て最前線のあなたへ」(中日新聞社)、「おかしな時代のまともな子育て論」(リヨン社・2002年3月発行)、「ドラえもん野比家の子育て論」(創芸社)など、30冊余り。
うち4冊は中国語にも翻訳出版されています。
「まなぶくん幼児教室」(学研)、「ハローワールド」(創刊企画・学研)などの無数の市販教材も手がけ、東洋医学、宗教論の著書も計8冊出版されています。
●教育評論家、現在浜松市伝馬町でBW教室主催。
●現在は、インターネットを中心に活動中。
メルマガ・オブ・ザ・イヤー受賞(08)、
電子マガジン読者数・計3000人(09)、ほか。
「BW公開教室」を、HP上にて、公開中。
(HPへは、「はやし浩司」で検索、「最前線の子育て論byはやし浩司」より。)
過去の代表的な著書
・・・などなど30冊余り出版されています。