適切な幼児教育は後の人間形成において大変重要であると考えていますが注意していただきたいことがあります。
幼児教育は完璧な育児や教育を推奨するものではないということです。
・愛情が第一を忘れない
・他の子どもと比較をしない
・完璧主義にならない
・結果を期待しすぎない
・ゆったりとした心を持つ
子どもへの過剰な期待は親子共に大きなストレスになる危険性あります。
ゆったりと構え、少しくらい上手くいかなくても「まぁ、いっか。」に考えられることが幼児教育を続けられるポイントになります。
「小さな心構え」について はやし浩司先生の子育て随筆
公園の前に、小さな車が止まった。「?」と思って見ていると、一人の女性(35歳くらい)が、ゴミのつまったポリ袋をもって出てきた。さらに「?」と思って見ていると、その女性は、そのポリ袋を、公園の中に設置してある、ゴミ箱の中に入れた。
かなり手なれた様子だった。いつもそうしているのだろう。
こういう人は少なくない。小ズルイというか、コスイというか……。「コスイ」というのは、郷里のG県の言葉で、人の目を盗んで、要領よく立ちまわることをいう。
しかしそういう人たちは、わずかな「便利」と引きかえに、もっと大切なものをなくす。
そしてその大切なものは、一度なくすと、それを取りもどすのは、容易ではない。つまり、誠実な心をなくす。
私「お前は、ああいうことを、しない女性だね」
ワ「私は、ああいうことはできないわ」
私「どうして?」
ワ「父さんが、いつも、そう言っていた。そういうズルイことをするな、ってね。子どものときから……」
私は、ワイフに、私が子どものころ見た、一人の女性(当時、40歳くらい)の話をした。いつだったか、町内で、遠足か何かに行ったときのことだった。
その女性は、ゴミを、クルクルと手でまるめると、そのゴミをもったまま、その手を、木の植えこみの中に突っこんだ。食事のあとか何かにできたゴミだったと思う。そのときも私は、「?」と思いながら、それを見ていた。が、その女性が、つぎに、手を植えこみから抜いたときには、そのゴミは、その女性の手から、きれいに消えていた。
それはまさに手品みたいだった。早業(はやわざ)というか、ほんの瞬間のできごとだった。
私「あの女性のことは、よく知っているよ」
ワ「その女性は、どうなったの?」
私「つい先日、なくなったということだそうだが、実に見苦しい人だったよ」
ワ「そうなっても、おかしくないわね」
私も、小ズルイという点では、ほかのだれにもひけをとらなかった。当時は、そういう時代だった。戦後の混乱期で、親たちにしても、食べていくだけでも、精一杯だった。
しかし私は、そういうことはしなかった。私の小ズルさというのは、もっと商人的なものだったように思う。10円で買ったおもちゃを、友だちに15円で売りつけるなど。父親が商人だったからではないか。そういう知恵だけは、よく働いた。
しかしゴミを、そうでないところに捨てたことはない。当時は、ゴミについては、それほどうるさく言わなかったが、それでも、しなかった……と思う。そういうことをするという、思考回路そのものが、頭の中には、なかった。
だから私が誠実な人間というわけではないが、今、冒頭に書いたような女性を見ると、心底、ゾッとする。そのときも、車からおりて、その女性を叱りたい衝動にかられた。しかしよくよく考えてみれば、その女性などは、まだよいほうだ。
私の家の横にある、竹やぶなどは、まさにかっこうのゴミ捨て場。一歩、竹やぶの中に入ると、そこはポリ袋のゴミだらけ。いくら立て札を立てても、意味はない。立て札そのものが、抜かれて捨てられる。ずいぶんと前だが、「偉そうなことを言うな」という落書きがしてあったこともある。
で、私は考えた。考えて、行動に出た。
私は家に帰ると、竹やぶの清掃を始めた。ほぼ一年ぶりである。以前は、毎月のようにしていたが、去年の冬、地主といざこざがあってから、するのをやめた。だから、そのときから、竹やぶは、ゴミの山!
竹やぶの清掃は、決して楽ではない。細い竹、太い竹が、無数に生えていて、それを行く手をはばむ。少し油断をすると、枯れた細い枝が、顔や目をつつく。痛い。
が、その清掃が終わったころ、あの女性に対する怒りは消えていた。心地よい、さわやかな汗を感じた。それをぬぐいながら家に入ると、ワイフがこう言った。「日本ソバでも食べる?」と。私は、「ウン」と言って、小さなノコギリを棚にしまった。
食べているとき、またあの女性の話になった。
私「一事が、万事だね」
ワ「きっとあの女性は、いつも見苦しいことをしていると思うわ」
私「でもね、ぼくたちだって、あの女性と、それほど違わないと思うよ」
ワ「……」
私「それをするかしないかは、ほんの小さな心構えで決まるから」と。
そう、ほんの小さな心構えで決まる。それが積もり積もって、一つの行動パターンができる。そしてその行動パターンが、いつか、その人の人格をつくる。そしてその人格が集合して、国民性となり、さらに大きく集まって、人間性となる。
ソバを食べ終わるころ、私は、こう言った。「いつか、人間がみな、その小さな心構えを、自然に守れるようなれば、この地球は、本当に住みやすくなるのにね。むずかしいことではないんだよね。ほんの小さな心構えだよ」と。
ワイフも、それに同意した。
【教訓】
あなたはあなたの子どもの目の前で、決して、見苦しい姿を見せてはいけない。しかし油断をすると、無意識のうちに、見苦しい姿を見せてしまうことがある。では、どうするか?
子どもがいるとかいないとか、あるいはだれかが見ているとか見ていないとか、そういうことは、関係ない。あなた自身の問題として、他人の目を意識することなく、常日ごろから、自分の行動を律する。
約束は守る。ルールは守る。人に迷惑をかけない。ウソをつかない。自分に正直に生きる。
何でもない、こうした行為の積み重ねがあって、やがてあなたは、(あなた)をつくる。
そういう(あなた)があってはじめて、あなたは、子どもに、自分の見苦しい姿を、見せないですむ。
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【はやし浩司先生のプロフィール】
1947年岐阜県生まれ。
金沢大学法文学部法学科卒業。
日豪経済員会給費留学生として、オーストラリアメルボン大学ロースクール(法学院)研究生、三井物産社員、幼稚園教師を経て、浜松市にてBW(ブレイン・ワーク)教室、幼児研究所を設立。
独自の哲学・教育論をもとに幼児教育の実践を行っています。
現在は教育評論家として、ホームページやブログ、メルマガ、ユーチューブ等を利用しながら執筆活動に専念しています。
●著書に「子育て最前線のあなたへ」(中日新聞社)、「おかしな時代のまともな子育て論」(リヨン社・2002年3月発行)、「ドラえもん野比家の子育て論」(創芸社)など、30冊余り。
うち4冊は中国語にも翻訳出版されています。
「まなぶくん幼児教室」(学研)、「ハローワールド」(創刊企画・学研)などの無数の市販教材も手がけ、東洋医学、宗教論の著書も計8冊出版されています。
●教育評論家、現在浜松市伝馬町でBW教室主催。
●現在は、インターネットを中心に活動中。
メルマガ・オブ・ザ・イヤー受賞(08)、
電子マガジン読者数・計3000人(09)、ほか。
「BW公開教室」を、HP上にて、公開中。
(HPへは、「はやし浩司」で検索、「最前線の子育て論byはやし浩司」より。)
過去の代表的な著書
・・・などなど30冊余り出版されています。