適切な幼児教育は後の人間形成において大変重要であると考えていますが注意していただきたいことがあります。
幼児教育は完璧な育児や教育を推奨するものではないということです。
・愛情が第一を忘れない
・他の子どもと比較をしない
・完璧主義にならない
・結果を期待しすぎない
・ゆったりとした心を持つ
子どもへの過剰な期待は親子共に大きなストレスになる危険性あります。
ゆったりと構え、少しくらい上手くいかなくても「まぁ、いっか。」に考えられることが幼児教育を続けられるポイントになります。
「愚かさの自覚」について はやし浩司先生の子育て随筆
毎年、新しい母親に、会う。新しい母親に会うたびに、私は、こう思う。「どうして、人は、こうまで毎年、同じことを繰りかえすのか」と。
そして私は、同じ、指導を繰りかえす。10年前と同じ、指導を繰りかえす。20年前と同じ、指導を繰りかえす。そして30年前と同じ、指導を繰りかえす。
そんなわけで、私は、新しい母親の相談を受けながらも、その先の先まで、よくわかる。それぞれの母親は、「私の子どもは特別」「この問題は私だけの問題」と考える。が、人間がかかえる問題というのは、細かい部分はさておき、それほど、ちがうものではない。
かなり特殊なケースでも、私には、そうではない。過去にいくつか、似たような事例を経験している。だから私はそういう過去の事例に当てはめながら、母親を指導する。が、それすらも、新しい母親には、理解できない。
たとえばかん黙症の子どもがいたとする。このタイプの子どもは、簡単にはなおらない。
またなおそうと思ってはいけない。その子どもに合わせながら、自然体で接するのがよい。
だから私は新しい母親に、こう言う。
「そういう子どもだと思って、のんびりやりなさい。どんな子どもでも、一つや二つ、親の意に添わないことがあるものですよ」と。
しかし新しい母親には、それがわからない。あちこちの病院を巡ったり、無理な指導を繰りかえす。あげくのはてには、「幼稚園の先生の指導が悪い」などと言い出したりする。そして子どもの症状を、かえって悪化させてしまう。
そして再び、私のところへ……。
実はこうした一連の行為についても、その新しい母親を見た瞬間、私には、わかる。「この母親は、私の言うことなど、聞かないだろうな」「つぎにこういう行動に出るだろうな」と。私が失望するときというのは、そういうときをいう。「どうせ、私など、相手にされていないのだ」と。
……と書きながら、実は、私が書きたいのは、このことではない。
これは新しい母親についての話だが、「人生」という場において、私たちは、みな、ここでいう新しい母親と同じことをしている。
だれか遠くに、人生を、何度も経験した人がいたとする。そういう人から見れば、今の私の行動など、あたかも手に取るようにわかるにちがいない。
しかしどんな人も、自分の人生を、一度しか経験しない。子育てでたとえて言うなら、私たちは、みな、新しい母親なのだ。だから私たちはみな、「私の人生は特別」「私の問題は、私だけのもの」と思う。
そこで私はこう考えた。
もし新しい母親が、何らかの方法で、自分の愚かさを知ることができたとする。「無知の自覚」ということになるのかもしれない。それができたとする。そのとき、その方法がわかれば、それを、自分の人生に、応用することができる、と。
少しわかりにくい話になったので、もう少し、かみくだいて考えてみよう。
若い母親は、はじめて母親になったような人たちである。だからすべての経験が、はじめての経験で、自分のかかえる問題を、客観的に見ることができない。
しかし私には、わかる。毎年、同じような母親に接し、同じような問題をいっしょに考えてきた。
同じように、私は、今、一つの人生を生きている。すべての経験が、はじめての経験で、自分のかかえる問題を、客観的に見ることができない。
そこでもし若い母親が、自分の愚かさ、つまり無知であることを自分で知る方法が見つかれば、その方法を、今度は、私が自分の人生を知る方法として、応用できる。自分のかかえる問題を、客観的に見ることができる、と。
そこで新しい母親たちを観察すると、謙虚な母親と、そうでない母親がいることがわかる。
謙虚ということは、つまりは、心のどこかで、無意識であるにせよ、自分の愚かさを自覚していることを意味する。しかしそうでない母親は、そうでない。何か私が説明しようとしても、「あんたごときに何がわかるの」というような態度をして見せる。
つまり、ここに一つのヒントがある。
自分の愚かさを知るためには、まず謙虚になること、と。「私はバカだ」と思うのもよい。「この世界には、私の知っていることよりも、知らないことのほうが、はるかに多い」と思うのもよい。ともかくも、そういう形で、謙虚になる。
たとえば新しい母親でも、少し謙虚になれば、私のような指導者の助けを借りなくても、自分で問題を発見して、それを解決できるはず。同じように、私自身も、この人生を生きる上で、少し謙虚になれば、だれかの助けを借りなくても、自分で問題を発見して、それを解決できるはず。
しかし「謙虚になる」ということは、同時に、それまでの人生に対して、敗北を認めることにもなる。「私は正しい」と思って生きるのは、それ自体が、生きる自信につながる。
しかし「私はまちがっているかもしれない」と思って生きるのは、不安だ。心配だ。
また謙虚になるといっても、具体的には、どうしたらよういのか、などなど。問題はつづく。
……これらの問題は、どうクリアしたらよいのか。それについては、また別のところで考えることにして、ともかくも今は、「謙虚になる」。謙虚になることによって、自分の愚かさを知ることができる。そしてそれがわかったとき、人は、つぎのステップへと進むことができる。
【今日の発見】
● 自分が愚人であると知っている人を、賢人という。自分が愚人であると気づいていない人を、愚人という。賢人は、どこまで謙虚で、自分を知ろうとする。しかし愚人は、傲慢で、自分を知ろうとしない。
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【はやし浩司先生のプロフィール】
1947年岐阜県生まれ。
金沢大学法文学部法学科卒業。
日豪経済員会給費留学生として、オーストラリアメルボン大学ロースクール(法学院)研究生、三井物産社員、幼稚園教師を経て、浜松市にてBW(ブレイン・ワーク)教室、幼児研究所を設立。
独自の哲学・教育論をもとに幼児教育の実践を行っています。
現在は教育評論家として、ホームページやブログ、メルマガ、ユーチューブ等を利用しながら執筆活動に専念しています。
●著書に「子育て最前線のあなたへ」(中日新聞社)、「おかしな時代のまともな子育て論」(リヨン社・2002年3月発行)、「ドラえもん野比家の子育て論」(創芸社)など、30冊余り。
うち4冊は中国語にも翻訳出版されています。
「まなぶくん幼児教室」(学研)、「ハローワールド」(創刊企画・学研)などの無数の市販教材も手がけ、東洋医学、宗教論の著書も計8冊出版されています。
●教育評論家、現在浜松市伝馬町でBW教室主催。
●現在は、インターネットを中心に活動中。
メルマガ・オブ・ザ・イヤー受賞(08)、
電子マガジン読者数・計3000人(09)、ほか。
「BW公開教室」を、HP上にて、公開中。
(HPへは、「はやし浩司」で検索、「最前線の子育て論byはやし浩司」より。)
過去の代表的な著書
・・・などなど30冊余り出版されています。