適切な幼児教育は後の人間形成において大変重要であると考えていますが注意していただきたいことがあります。
幼児教育は完璧な育児や教育を推奨するものではないということです。
・愛情が第一を忘れない
・他の子どもと比較をしない
・完璧主義にならない
・結果を期待しすぎない
・ゆったりとした心を持つ
子どもへの過剰な期待は親子共に大きなストレスになる危険性あります。
ゆったりと構え、少しくらい上手くいかなくても「まぁ、いっか。」に考えられることが幼児教育を続けられるポイントになります。
「愚人論」について はやし浩司先生の子育て随筆
簡単な例では、『堂々巡り』という言葉がある。あるいは、『小田原評定』というのもある。同じことを繰りかえし考えるだけで、前に進まないことをいう。これを、「思考のループ」という。
一度、このループ状態にはいると、進歩が止まるのみならず、ばあいによっては、後退する。
たとえば昨夜、私はテレビのチャンネルをかえるとき、あるバラエティ番組をのぞいてみた。夜の九時台だった。
見ると、お笑いタレントとしてよく知られている、Sという男が、ペラペラと何かをしゃべっていた。軽妙なタッチで、若い人たちには、それなりに受けはよい。しかし私は、ふと、こう思った。「この男は、五年前にも、そして一〇年前にも、同じことを言っていたぞ」と。
実のところ、同じかどうかはわからない。しかし昔、彼がしゃべったのを何度か聞いたことがあるが、どの一つも、記憶に残っていない。何かしら、いっしょに笑ったような覚えはあるが、それだけ。
お笑いタレントのSが、ループ状態に入って、同じようなことをしゃべるのは、構わない。それが彼の仕事である。問題は、それを見たり聞いたりする、視聴者である。実は、この視聴者も、ループ状態に入る。
もう少しわかりやすい例で考えてみよう。
たとえばプロ野球が、ある。
私はあるとき、プロ野球を見ながら、こう考えたことがある。
「毎年、毎年、こうしてプロ野球は、繰りかえされる。しかし中身は、同じではないか」と。
もちろん中身は、ちがう。試合の内容も、ちがう。しかし三〇年前のプロ野球も、最近のプロ野球も、プロ野球は、プロ野球。パターンこそちがうが、「プロ野球」という全体のワクは、同じ。
ワイフと、こんな会話をした。
私「たとえばその日の献立を考える。そのとき、『何を食べようか』と考える。考えながら、頭の中で、いくつかの料理を思い浮かべる。そのとき思い浮かべる料理の内容はちがうかもしれないが、献立を考えるというワクは、同じ」
ワ「だから、どうなの?」
私「思考も、これによく似ている。いろいろなことを考えるが、一定のワクができると、そのワクの中だけで、同じようなパターンを繰りかえすようになる。しかしこうなると、思考は、進歩を停止する」
思考が停止した状態になると、明日も今日と同じ、あさっても、その明日と同じという
状態になる。しかしこうなれば、その人は、死んだも同然。
私「人間は考えるから、人間なのだ」
ワ「いつものあなたのセリフよ」
私「そうだ。考えることによって、前に進むことができる」
ワ「考えなかったら……?」
私は、老人たちの会話を例にあげた。どこかの公園に集まって、毎日、毎日、同じ会話を繰りかえしている、あの老人たちである。
もちろんそれが悪いというのではない。人は、人、それぞれ。またほとんどの人は、みな、そうなる。しかし若い人は、そうであってはいけない。
私「若い人でも、思考のループに入ってしまう人はいくらでもいる」
ワ「そういう人は、死んでいるの?」
私「思考的には、そういうことになる」
そこで問題は、どうすればそのループ状態から、抜け出ることができるかということ。
いや、その前に重要なことは、自分が、ループ状態にあることに気がつかなければならない。
たとえば、今のあなたを、一〇年前のあなたとくらべてみればよい。二〇年前のあなたとくらべてみればよい。が、それがわからなければ、あなたの近くにいる、叔父や叔母を一人選んで、その人を外から観察してみればよい。
あなたなら、あなた。その人なら、その人が、一〇年前と同じ、あるいは二〇年前と同じというのであれば、あなたや、その人は、ループ状態にいるとみる。このタイプの人は、一〇年一律なことばかりを、口にする。そして同じことを、同じパターンで繰りかえす。
では、どうするか。そういうループ状態から抜け出るには、どうするか。このことを、あの釈迦は、『精進(しょうじん)』という言葉を使って説明した。つまり常に、今のカラを破り、前に進む。そこに生きる、人間の尊さがある。人間の価値がある、と。
私「大切なことは、考えること。この一語に、行きつく」
ワ「どう考えるの?」
私「いいか、思想というのは、言葉でできている。だから考えるということは、ものを書くことということにもなる。人間は、書きながら考え、考えながら、書く。そうすると、荒野の荒地に、ときどき小さな、光るものを見つけることがある。あとは、その光るものを、どこまでも追いつづければいい」と。
ワ「それが精進ってことね」
私「そう。あえて言うなら……」
ワ「何よ……」
私「先へ進めば進むほど、相対的に、まわりの人が、幼稚に見えてくる」
ワ「愚かに見えてくるということ?」
私「はっきり言えば、そういうことになるかもしれない。だから一〇年前、あるいは二〇年前につきあった人と、会ってみればいい。そういう人と会って話してみたとき、自分が、昔のままだと感じたら、たがいにループ状態にいるとみていい。しかし相手が愚かに見えたら、自分はループ状態から、抜け出たとみていい」と。
こうして人間は、死ぬまで、歩きつづける。求めて、求めて、歩きつづける。もちろんゴールは、ない。そう言いきるのは危険なことかもしれない。しかしゴールは、ない。荒野は、どこまでも果てしなく、つづく。そしてゴールだと思っても、必ず、その先は、ある。
最後にもう一度。
愚人は、決して、自分を愚人と思わない。しかし賢人は、いつも自分を愚人と思う。そして愚人からは、賢人がわからない。自分と同じ人間だと思う。が、賢人からは、愚人がよくわかる。これが愚人と賢人のちがいである。
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【はやし浩司先生のプロフィール】
1947年岐阜県生まれ。
金沢大学法文学部法学科卒業。
日豪経済員会給費留学生として、オーストラリアメルボン大学ロースクール(法学院)研究生、三井物産社員、幼稚園教師を経て、浜松市にてBW(ブレイン・ワーク)教室、幼児研究所を設立。
独自の哲学・教育論をもとに幼児教育の実践を行っています。
現在は教育評論家として、ホームページやブログ、メルマガ、ユーチューブ等を利用しながら執筆活動に専念しています。
●著書に「子育て最前線のあなたへ」(中日新聞社)、「おかしな時代のまともな子育て論」(リヨン社・2002年3月発行)、「ドラえもん野比家の子育て論」(創芸社)など、30冊余り。
うち4冊は中国語にも翻訳出版されています。
「まなぶくん幼児教室」(学研)、「ハローワールド」(創刊企画・学研)などの無数の市販教材も手がけ、東洋医学、宗教論の著書も計8冊出版されています。
●教育評論家、現在浜松市伝馬町でBW教室主催。
●現在は、インターネットを中心に活動中。
メルマガ・オブ・ザ・イヤー受賞(08)、
電子マガジン読者数・計3000人(09)、ほか。
「BW公開教室」を、HP上にて、公開中。
(HPへは、「はやし浩司」で検索、「最前線の子育て論byはやし浩司」より。)
過去の代表的な著書
・・・などなど30冊余り出版されています。