適切な幼児教育は後の人間形成において大変重要であると考えていますが注意していただきたいことがあります。
幼児教育は完璧な育児や教育を推奨するものではないということです。
・愛情が第一を忘れない
・他の子どもと比較をしない
・完璧主義にならない
・結果を期待しすぎない
・ゆったりとした心を持つ
子どもへの過剰な期待は親子共に大きなストレスになる危険性あります。
ゆったりと構え、少しくらい上手くいかなくても「まぁ、いっか。」に考えられることが幼児教育を続けられるポイントになります。
「受験という魔物」について はやし浩司先生の子育て随筆
子どもの受験が、受験だけに終わらないのは、そこに親がからむから。この親どうしの、醜い、実に愚劣な戦いが、そこでくりひろげられる。それが子どもの受験競争を、かぎりなく複雑にする。
私はこうした、ドロ沼の、底の、その底まで、見てきた。
人間というのは、不思議なもので、三〇歳になると、一〇歳の子どもも、一五歳の子どもも、同じに見える。一五歳の子どもが、小さな子どもをさして、「あんなガキが」と言ったりすると、「自分だって、そんなに変らないではないか」と思ったりする。
同じように、四〇歳になると、今度は、二〇歳の子どもも、一〇歳の子どもも、同じに見える。さらに五〇歳になると、三〇歳の子どもも、一〇歳の子どもも、同じに見える。
そんなわけで、今の私には、三〇歳の女性も、一〇歳の女の子も、同じに見える。少しまわりくどい言い方をしたが、つまり、親どうしの、こうした戦いを見ていると、私には、実に子どもじみて見える。
一〇歳の女の子が、自分の持ち物をひけらかして、得意になる。それを見て、別の子どもが、ひがむ。ひがんだついでに、ねたむ。そして意地悪をする。そしてたがいに、ささいなことで、言ったの言わないのと、喧嘩(けんか)を始める。
三〇歳の母親に、「あなたがたがしていることは、一〇歳の子どものしていることと同じですよ」と言っても、恐らく、理解できないだろう。私だって、三〇歳のときには、そうは思わなかった。もしだれかが、三〇歳のときの私に、「お前のしていることは、一〇歳の子どもがしていることと同じ」と言ったとしたら、猛然と、それに反発しただろうと思う。
しかし、今の私は、はっきりと断言できる。「人間というのは、あるところまでくると、それほど、進歩しないものだ」と。そしてその「あるところ」というのは、一七、八歳の思春期までのころを言うのではないか、と。
もちろんこうして、ここにあげた数字には、根拠はない。話の内容をわかりやすくするために、「例」としてあげた。
で、私は、あるとき、それに気づいた。そしてそのときから、「親」を客観的に見ることができるようになった。と、同時に、あのドロ沼から、足を洗うことができた。
今も、このH市の、どこかの小さな幼稚園では、醜い親どうしの、それこそ熾烈(しれつ)な戦いが繰りかえされている。「あの子が、合格? ウッソー!」「どうして、あんな子が、合格したの?」「ええっ! あの子が、不合格! どうなってるのオ!」と。
こんな電話を、親たちが、夜中の間、ずっと、たがいにかけあっている。うわさしあっている。そして、(合格組)は、ことさらその優越感を味わい、(不合格組)は、その分だけ、失意と落胆の世界に、たたき落とされる。
実際、この時期、自分の子どもが不合格になったことが原因で、寝込んでしまう親は、少なくない。それがこじれて離婚騒動になったケースさえ、ある。中学生の息子が不合格になったあと、自殺を試みた母親すら、いる。
外部の人が見れば、まさに笑い話だが、しかし当の本人たちには、わからない。一年先、二年先どころか、数日先のことすらわからない。見えるのは、ほんの目先のことだけ。その目先のことすら、わからない人も少なくない。
つまりこういう姿を見ていると、私には、その親たちが、一〇歳、あるいはそれ以下の子どもと同じに思えてくる。親にはなった。子どもも育てている。しかし中身は、まったく子どものまま、と。
こうしたドロ沼から抜け出る方法は、ただ一つ。その人自身が、自ら考える人間になることでしかない。考えて考え抜いて、自分の時点を高くもちあげる。そして高い視点から、まわりの世界を見る。
そうすればちょうど地図を見るように、迷った道から抜け出ることができる。ドロ沼から、這い出ることができる。
今、自分の子どもだけを見据えて、じっくり子育てができる親は、いったい、どれだけいるだろうか。「私は、私。うちの子は、うちの子」と考えて、じっくり子育てができる親は、いったい、どれだけいるだろうか。
子育ての問題とは言いながら、その実、周囲の雑音、騒音に、振りまわされているだけ。今、子どものドロ沼の受験戦争に巻き込まれて、勝ち組になってはしゃいでいる親も、反対に負け組になって落ちこんでいる親も、一度、じっくりと、自分を見つめてみてほしい。
● 親どうしのつきあいは、『如水淡交』が、原則。決して深い入りしない。つきあいは事
務的に。「あぶない」と感じたら、さっとかわす。
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【はやし浩司先生のプロフィール】
1947年岐阜県生まれ。
金沢大学法文学部法学科卒業。
日豪経済員会給費留学生として、オーストラリアメルボン大学ロースクール(法学院)研究生、三井物産社員、幼稚園教師を経て、浜松市にてBW(ブレイン・ワーク)教室、幼児研究所を設立。
独自の哲学・教育論をもとに幼児教育の実践を行っています。
現在は教育評論家として、ホームページやブログ、メルマガ、ユーチューブ等を利用しながら執筆活動に専念しています。
●著書に「子育て最前線のあなたへ」(中日新聞社)、「おかしな時代のまともな子育て論」(リヨン社・2002年3月発行)、「ドラえもん野比家の子育て論」(創芸社)など、30冊余り。
うち4冊は中国語にも翻訳出版されています。
「まなぶくん幼児教室」(学研)、「ハローワールド」(創刊企画・学研)などの無数の市販教材も手がけ、東洋医学、宗教論の著書も計8冊出版されています。
●教育評論家、現在浜松市伝馬町でBW教室主催。
●現在は、インターネットを中心に活動中。
メルマガ・オブ・ザ・イヤー受賞(08)、
電子マガジン読者数・計3000人(09)、ほか。
「BW公開教室」を、HP上にて、公開中。
(HPへは、「はやし浩司」で検索、「最前線の子育て論byはやし浩司」より。)
過去の代表的な著書
・・・などなど30冊余り出版されています。