適切な幼児教育は後の人間形成において大変重要であると考えていますが注意していただきたいことがあります。
幼児教育は完璧な育児や教育を推奨するものではないということです。
・愛情が第一を忘れない
・他の子どもと比較をしない
・完璧主義にならない
・結果を期待しすぎない
・ゆったりとした心を持つ
子どもへの過剰な期待は親子共に大きなストレスになる危険性あります。
ゆったりと構え、少しくらい上手くいかなくても「まぁ、いっか。」に考えられることが幼児教育を続けられるポイントになります。
●おかしな日本語
最近、子どもたちの日本語が、おかしい。本当に、おかしい。昨日も、小4のクラスで、こう言った子どもがいた。
「先生、終わったら、どうするのですか?」と。
その子ども(女の子、Oさん)は、「先生、今やっている問題が終わったら、私は何をしたらいいですか?」という意味で、私にそう言った。それはわかる。しかし、何という、日本語!
そこですかさず、私はこう言ってやった。
「あのね、先生が死んだら、葬式でもしてくれれば、先生は、うれしいよ。でも、まだぼくは、終わらないよ。元気で、ピンピンしているからね」と。
すると、このところやや反抗的な様子を見せ始めているKさんが、こう言った。「先生は、ふざけてばかりいる」と。
私「何も、ふざけていないよ。君たちの話す日本語がおかしいから、そう言っているだけだよ。もう少し、きちんとした日本語を話してほしいからね」と。
そこで私は、いくつかの例を出してやった。
「たとえば、『今日、学校、ある』と言うだろ。それだって、『今日は、学校は、休みではありません。授業があります』と言うべきだ。学校が、消えたり、現われたりするわけないからね。
ほかに、夏になると、『今日、プールがあった』と言う子どもがいる。しかしそのばあいでも、『今日は、水泳の授業があった』というべきだ。プールが、消えたり、現われたりするわけではないからね」と。
さらにこんな例も出して説明してやった。
「よく、『先生、オシッコ!』という子どもがいる。そういうときは、ぼくは、『先生は、オシッコではない。人間だ』と言ってやるよ。いいかな、そういうときは、『私は、トイレに行きたいです』と言わなくてはいけない」と。
すると、最初の女の子が、ムキになった。「そんな言い方、いちいちしないわよ。それに今は、国語の時間ではない! 私は算数が勉強したいの。よけいなこと、教えないでよ!」と。
私「国語の時間ではない、だって? 算数だって、国語の一部だよ。計算問題だけが、算数ではない。文章で書かれた問題を解くのが、算数だよ。それは君のまちがいだよ」と。
Oさん「だって、意味が通ずれば、いいじゃん」
私「しかしそんな話し方ばかりしていると、文章が書けなくなるよ。たとえば、『これは私の学校』などと、外国の人に言ってごらん。その外国の人は、びっくりするよ。『これは、君の学校か』ってね。そういうときでも、『これは、私が通っている学校です』と言う。正しくはね」と。
英語の世界では、日本語の世界とは反対に、単語だけの会話を、たいへん、嫌う。たとえば、「何、食べる?」「うん、ラーメン」という言い方は、英語では、しない。英語では、「あなたは、何を食べたいですか?」「私は、ラーメンを食べたいです」と言う。きちんとした文章で会話をするのが、ふつう。ふつうというより、当たり前。
単語だけ並べて会話をすると、大学教育の場では、すかさず、注意される。「あなたは、文章(センテンス)で、会話をしなさい!」と。ふつうの世界でも、単語だけで応答したりすると、「学のない人」と、判断される。
日本語は日本語と、居なおるのもよいが、少なくとも、正しい言い方とは、ほど遠い。その(ほど遠い)状態で、日本語そのものが、ますます、おかしくなってきている。よい例が、バラエティ番組に出てくる若者たちの会話である。
「ドヒャー、ヤルー!」
「スゲエ〜。オレもイッチョ、ヤッカ〜」
「アホッ、オマエ、アホカ?」と。
そしてKさんには、こう言った。
「君は、小説を書いているね。小説を書く人は、日ごろから、正しい言い方を身につけておかなくてはいけない。でないとね、意味のわからない日本語を書くことになるよ。自分だけわかればいいという文章は、文章ではないよ」と。
そして最後に、こう言った。「今、ぼくが言っていることが、まちがっていると思う人は、即刻、この教室から出て行きなさい!」と。
とたん、クラスは、シーンとした。そして、いつものレッスンがまた、始まった。
【追記】
その翌日のこと。またまた、こんなハプニングがあった。
このあたりでは、「ケチ」のことを、「ケチンボウ」という。おかしな日本語だ。どうやら方言のようなものらしい。
しかし、それにしても……!
その言葉を、今日、小5のOさんが、使った。何かの拍子に、Oさんが、「先生は、ケチンボウね」と。
あまりの言葉に、瞬間、息が止まった。そしてこう言った。「もちろん、毛・チン棒だよ」と。
とたん、クラス中が、爆笑のウズで埋まった。私も、「ますい」「まずい」と思いながらも、そのウズに巻きこまれてしまった。
私「あのねえ、若い、君のような女性が、口に出して使うような言葉じゃ、ないよ」
O「どうして、だめなの?」
私「その言葉は、セクハラ言葉だよ」
O「ケチンボウがア……?」
私「ほら、また、使ったア!」と。
ワハハハ、ゲラゲラ、ワハハハ……。
O「でもね、ママに、ケチンボウと言っても、ママは、笑わないわよ」
私「もういいから、その言葉を使ってはだめ!」
O「どうしてダメなの?」
私「もう、いいから、その言葉を忘れて勉強しなさい!」
O「先生は、考えすぎよ」と。
あとで家に帰ってから、そのことをワイフに話すと、ワイフも、こう言った。「あら、浜松の人なら、みな、その言葉を使うわよ」と。
それにしても、ギョッとする言葉ではないか。浜松の人には、それがわからないかもしれないが……。
情報・画像の出展:はやし浩司先生
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【はやし浩司先生のプロフィール】
1947年岐阜県生まれ。
金沢大学法文学部法学科卒業。
日豪経済員会給費留学生として、オーストラリアメルボン大学ロースクール(法学院)研究生、三井物産社員、幼稚園教師を経て、浜松市にてBW(ブレイン・ワーク)教室、幼児研究所を設立。
独自の哲学・教育論をもとに幼児教育の実践を行っています。
現在は教育評論家として、ホームページやブログ、メルマガ、ユーチューブ等を利用しながら執筆活動に専念しています。
●著書に「子育て最前線のあなたへ」(中日新聞社)、「おかしな時代のまともな子育て論」(リヨン社・2002年3月発行)、「ドラえもん野比家の子育て論」(創芸社)など、30冊余り。
うち4冊は中国語にも翻訳出版されています。
「まなぶくん幼児教室」(学研)、「ハローワールド」(創刊企画・学研)などの無数の市販教材も手がけ、東洋医学、宗教論の著書も計8冊出版されています。
●教育評論家、現在浜松市伝馬町でBW教室主催。
●現在は、インターネットを中心に活動中。
メルマガ・オブ・ザ・イヤー受賞(08)、
電子マガジン読者数・計3000人(09)、ほか。
「BW公開教室」を、HP上にて、公開中。
(HPへは、「はやし浩司」で検索、「最前線の子育て論byはやし浩司」より。)
過去の代表的な著書
・・・などなど30冊余り出版されています。