ある姉妹の話

 

適切な幼児教育は後の人間形成において大変重要であると考えていますが注意していただきたいことがあります。
幼児教育は完璧な育児や教育を推奨するものではないということです。


 ・愛情が第一を忘れない
 ・他の子どもと比較をしない
 ・完璧主義にならない
 ・結果を期待しすぎない
 ・ゆったりとした心を持つ 

子どもへの過剰な期待は親子共に大きなストレスになる危険性あります。
ゆったりと構え、少しくらい上手くいかなくても「まぁ、いっか。」に考えられることが幼児教育を続けられるポイントになります。

ある姉妹の話

 はやし浩司先生●ある姉妹の運命

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それぞれの人には、それぞれ、クモの糸のように、無数の人間関係がからんでいる。

そしてそのクモの糸にからまれているうちに、その人の人生がどうあるべきかが決まってくる。

それを運命というなら、運命は、だれにでもある。

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 運命というのは、それを受け入れた者には、喜びを与え、それを拒否する者には、苦痛と悲しみを与える。運命というのは、それを前向きに構えた者には、笑顔を見せ、それに背を向けたものには、キバをむく。

 大切なことは、どこでどう、その運命を受け入れ、どこでどう前向きに構えるかということ。……というほど大げさな問題ではないが最近、こんなことがあった。ワイフの友人の問題だが、それには、いろいろ考えさせられた。

それを話す前に、少し、説明しておきたいことがある。

子育ての世界には、「代償的過保護」という言葉がある。一見、過保護のように見えるが、過保護ではない。過保護には、その背景に、深い親の愛情が見え隠れするが、代償的過保護には、それがない。

 子どもを自分の支配下において、子どもを自分の思いどおりにしたいというのが、代償的過保護。つまりは、過保護もどきの過保護。もっと言えば、子どもを、親の心のすき間を埋めるための、道具として利用する。よい例が、子どもの受験勉強に狂奔する親たち。「子どものため」と言いながら、何も、子どものことなど、考えていない。自分の不安や心配を解消するために、子どもをして、受験勉強にかりたてる。あるいは自分が果たせなかった夢や希望を、子どもを通して達成するために、子どもを利用する。それが、「代償的過保護」。

 この代償的過保護になる親には、共通のパターンがある。

(1)心のすき間、つまり精神的未熟さ、情緒的不安定さがある。
(2)いつも満たされない欲求不満をかかえている。
(3)「産んでやった」「育ててやった」を口ぐせにしやすい。
(4)子どもの自立、独立を阻止しようとする。自分から離れていくのを許さない。
(5)ベタベタの親子関係をつくりやすい。子どもに依存心をもたせやすい。
(6)自己愛的傾向が強く、ものの考え方が、自己中心的で、人格の完成度が低い。
(7)独得の子ども観をもっている。

 最後の「独得の子ども観」というのは、親にベタベタ甘える子どもほど、いい子で、かわいい子と考えやすいことをさす。そして、子どもを大切にするということは、子どもにいい思いや、楽をさせることと誤解する。

 Aさん(60歳、女性)は、まさに、そんなタイプの母親だった。虚栄心が強く、世間体を、異常なまでに、気にした。その上、自分勝手でわがまま。2人の娘がいたが、その娘たちとは、はやくから絶縁状態。顔を合わせることもあったが、会うたびに、Aさんは、娘たちに、「親不孝者め!」とか、「地獄へ落ちるぞ!」とか言って、娘たちをおどした。Aさんは夫とは、その5年ほど前に、死別していた。

 が、不幸は突然やってきた。不幸といっても、Aさん自身のことではない。娘たちの不幸である。ある朝、Aさんは、脳梗塞を起こして、倒れてしまった。幸い、症状が軽く、運動マヒは残らなかった。しかし人格が、変ってしまった。「母は、まるで別人のように、無表情で、怒りっぽくなった」(妹)とのこと。しかしそれは同時に、娘たちの苦しみのはじまりだった。

 2人の娘は、たがいにけんかをした。「あんたが長女だから、めんどうみろ」「あんたのほうが、母にかわいがってもらったのだから、あんたが、めんどうをみろ」と。

 結局、生活費は妹夫婦が負担して、姉のほうが、Aさんのめんどうをみることになった。暗黙の了解ということだったが、娘たちは、自分の人生をのろった。とくに姉のほうが、その負担を大きく感じた。

 姉は、毎週のように妹の家に来て、グチを言った。そのグチが、ときには、1時間以上もつづくことがあった。姉は、介護ノイローゼから、うつ病の一歩手前という状態ではなかったか。

 夜眠れない。朝早く、目がさめてしまう。耳鳴りがひどい。食欲がない。血圧があがった。腰が痛い。頭痛がする。吐き気がする、などなど。

 そして母親のささいなことを取りあげて、ああでもない、こうでもないと不平、不満を並べた。たとえば、インスタントラーメンが、台所のシンクの穴につまっていた。洗面所のお湯が流しっぱなしになっていた。パンが、戸だなの中で、腐っていた。植木鉢の花が、枯れてしまった、など。

 そしてあれこれ理由を並べて、妹が出すお金では、足りないと不満を言った。「往復するだけでも、20キロはある。ガソリン代が高い」と。

 妹のほうは、言われるまま、そのつど、2万円とか3万円とか、払っていた。が、それが当たり前になると、今度は、「時間が取られる」「夫の仕事が手伝えなくなった」「旅行に行けなくなった」と、妹に訴えた。

 母親はまだ、そのとき、65歳になっていなかった。一応、身の回りのことは、自分でできるので、介護の認定審査も受けられなかった。姉は、母親を、グループ・ホームへ入れたいと言った。が、月々の費用だけで、13万円。プラス、小遣い。

が、ここで、事件が起きた。母親が、姉に、それまでは自分で隠しもっていた、銀行の通帳と印鑑を、渡した。見ると、そこには、1000万円近い金額があった。夫、つまり姉妹の父親の生命保険金も、それに含まれていた。姉は、「私が預かる」と言って、その通帳と印鑑を、自分のところへもっていってしまった。が、このことは、妹には、話さなかった。

 しかし、それは、やがて妹の知るところとなった。母親が、妹のほうへ、電話をした。その通帳と印鑑の話をした。妹は、即、姉に電話をして、金額をたしかめた。が、姉は、「見ていない」「計算していない」「300万円くらいかな」と、とぼけた。

 とたん、妹は、姉への不信感をもつようになった。それまでは姉の健康に気をつかっていた。母親のめんどうをみない自分に恥じて、姉の言うままに、お金を出していた。その妹は、私のワイフにこう言った。

 「母も母ですが、姉も姉です。私たち姉妹は、母のおもちゃのようなものでした。ウソのかたまりというか、何が本当で、そうでないのか、わからない人でした。私たちは、母に、いいように操られていただけです。そういう自分に気がついて、母とは絶縁しましたが、姉まで、ウソつきと知って、もう何を信じていいのか、わからなくなりました」と。そして、こう言ったという。

 「しばらくしてから、私の心の中に、大きな変化が起きたのがわかりました。姉に対して、平気でウソをつくようになってしまったということです。たとえば毎週のように私の家までやってきて、グチを言っていましたが、それに対して、私と夫は、居留守を使うようになりました。息子たちにも、口裏をあわせさせています。

電話機をナンバーディスプレイにして、姉からの電話を受けないようにしました。携帯電話の番号も変えました。姉には、携帯電話はもうやめたと話してあります。

 で、姉が来そうな日には、わざと何か用をつくって、家にはいないようにしています。以前の私なら、それだけでも、罪の意識をもったでしょうが、今は、もう、ありません」と。

 こうした現象は、シャドウ論で説明できる。

 人はだれしもある程度の「仮面(ペルソナ)」をかぶる。仮面をかぶって生きている。よい例が、ショッピングセンターの女性である。いつもにこやかな笑みを絶やさない。しかしそれは仮面。

 で、その仮面を仮面と気づいている間は、問題ない。しかし中には、その仮面を脱ぎ忘れてしまう人がいる。仮面を仮面とわからなくなってしまう。そして自分を、「善人」と錯覚してしまう。

 ここに書いた、Aさんが、そうではなかったか。妹は、こう言う。「私の母は、他人の前では、まるで牧師か何かのように振る舞います。しかしその他人の目の届かないところでは、他人の悪口ばかり。他人の不幸が、何よりも楽しい、といった感じの話し方をします」と。

 が、やがて、2人の娘たちと疎遠になると、Aさんは、その娘たちにも、まるで牧師のような振る舞いをするようになったという。で、あるとき、妹が、Aさんにこう言ったという。「母さん、私に、そんな手を使っても、無駄ですよ。私は、母さんが、本当は、どんな人かよくわかっていますから」と。

 しかしもうそのときには、Aさんには、妹の言った言葉を理解する能力がなかった。仮面が、仮面であるとさえわからなくなっていた。

 が、仮面をかぶればかぶるほど、自分の中の邪悪な部分を、心のどこかに閉じこめようとする。意識的にそうすることもあるし、無意識的にそうすることもある。そしてその邪悪な部分については、あえて「私ではない」と、言い切ったりする。

 その一例として、反動形成がある。牧師が、ことさらセックスや不倫の話を嫌ってみせたりするのが、それ。よい人間を演じつづけていると、その反動として、邪悪なものを、おおげさに遠ざけようとする。

 が、問題は、ここで終わるわけではない。

 こうして仮面をかぶることにより、その邪悪な部分が、心の奥に閉じこめられる。しかしそこでその邪悪な部分が消えるわけではない。その邪悪な部分が、その人のシャドウ(影)となって、その人をウラから、操ることがある。

 が、それはそれ。その人の勝手。実は、親がこうしたシャドウをもつと、そのシャドウを、子どもが引きついでしまうことがある。そういう例は、たいへん、多い。Aさんのケースで言うなら、姉が、Aさんのシャドウを引きついでしまったことになる。妹は、こう言う。

 「姉も、私も、あれほど母を嫌っていたのに、その姉が、母そっくりの人間になっていったのには、驚きました。もちろん姉は、それに気づいていません。今でも、『私は、母とはちがう』と思っているようです。しかし一歩退いてみると、つまり私から見ると、母と姉は、一卵双生児のようによく似ています」と。


 ここまで書いて、私は、2つの話をしなければならない。ひとつは、「運命論」。冒頭に書いたのが、それ。もうひとつは、「代償的過保護論」。これはそのつぎに書いた。

 まず運命論についてだが、姉が、心安くなるためには、運命を受けいれるしかない。が、現状では、姉は、その運命を拒絶している。だから、つぎからつぎへと、問題が起きてくる。もっともこれについては、私のワイフは、こう言う。

 「愛情の問題ではないかしら。その姉妹に、母親に対する愛情があれば、問題は、問題でなくなってしまうはずよ」と。つまりその愛情が欠落しているから、母親の介護が重荷になるのでは、と。

 そこで、問題なのは、なぜ、その姉妹の愛情が消えてしまったかということ。その理由が、実は、代償的過保護ということになる。Aさんは、もともと、娘たちを愛してはいなかった。口では、「かわいがってやった」とよく言うそうだが、娘たちは、そうは思っていない。

 姉が結婚するときも、妹が結婚するときも、「スープが冷めない距離」を条件に出したという。とくに妹のほうは、そのため、遠地に住む恋人と別れねばならなかったという。つまりAさんは、姉妹の幸福よりも、自分の幸福を優先させた。それが長い時間をかけて、現在の親子関係を、つくった。

私「今のままじゃあ、姉のほうも、たいへんだね」
ワ「要するに、2人とも、Aさん(母親)を、心の中では、うらんでいるのね」
私「そういうこと。が、うらめばうらむほど、母親のもつシャドウの呪縛のとりこになってしまう。クモの巣の糸にからまれるように、ね」
ワ「母親を嫌えば嫌うほど、母親のような人間になってしまうということ?」

私「そういうケースは、多いよ。本来なら、親子関係を清算するのがいいのだけれど、それはできないしね」
ワ「すべての原因は、Aさんにあるのよね。子育てそのものが、最初から、ゆがんでいた。Aさん自身の生きザマにも、問題があったと思うわ」
私「ぼくも、そう思う。で、姉のほうもたいへんだろうけど、妹さんのほうは、これから先、もっとたいへんだろうね。Aさんが死ぬまで、10年とか、20年も、この問題はつづくからね……」と。

 運命というのは、それを受け入れた者には、喜びを与え、それを拒否する者には、苦痛と悲しみを与える。運命というのは、それを前向きに構えた者には、笑顔を見せ、それに背を向けたものには、キバをむく。

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【補記】

 ここに書いた、Aさんというのは、架空の母親です。もともと、この話は、私の義姉から聞いたものです。その話をワイフが私にしたので、さらに詳しくということで、私が義姉に会って、内容をたしかめてきました。

 一部、その人とわからないようにするため、説明不足の点もありますが、それはお許しください。義姉から、「Aさんがだれか、ぜったいにわからないように書いてね」と、強くクギを刺されています。

 なお、本文の中で、「代償的過保護」「シャドウ」という言葉を使いましたが、それは義姉との会話の中で、私が、義姉に説明した部分です。「そういうのを、代償的過保護というのですよ」とか、「シャドウとかいうのですよ」とか。

【付記】

 ウソをつく人に会うと、こちらまで、ウソをつくことに抵抗感がなくなってしまう。そしてさらにその人と、長く会っていると、ウソをつくことが平気になってしまう。

 こうしてウソつきのまわりには、ウソをつく人ばかりが集まるようになる。そして一趣、独特の世界をつくるようになる。

 だから、ウソをつく人とは、できるだけ早く、別れたほうがよい。距離をおいたほうがよい。でないと、自分の人間性まで、腐ってしまう。長い時間をかけて、そうなる。

 親や、兄弟、親類、縁者のばあいは、そうは簡単ではないかもしれない。そこで重要なことは、ウソにはウソで返すのではなく、そのつど、自分と戦う必要がある。心して、正直、誠実をつらぬく。


 実は、ここに書いた妹さん自身も、すでに、姉のウソの呪縛の虜(とりこ)になりつつある。居留守を使ったり、ナンバーディスプレイの電話にしたり、さらには、「携帯電話はもうやめた」とウソをつくことなど。息子たちに、口裏をあわせるように指示することによって、今度は、息子たちが、その呪縛の虜になってしまう可能性もある。

 このままでは、妹さんのほうも、やがて、Aさんのシャドウに巻きこまれてしまう。もちろん妹さんも、それに気づいていないが……。ユングが説いた、シャドウ論の本当のこわさは、ここにある。



情報・画像の出展:はやし浩司先生

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【はやし浩司先生のプロフィール】

はやし浩司先生1947年岐阜県生まれ。

金沢大学法文学部法学科卒業。
日豪経済員会給費留学生として、オーストラリアメルボン大学ロースクール(法学院)研究生、三井物産社員、幼稚園教師を経て、浜松市にてBW(ブレイン・ワーク)教室、幼児研究所を設立。

独自の哲学・教育論をもとに幼児教育の実践を行っています。

現在は教育評論家として、ホームページやブログ、メルマガ、ユーチューブ等を利用しながら執筆活動に専念しています。

●著書に「子育て最前線のあなたへ」(中日新聞社)、「おかしな時代のまともな子育て論」(リヨン社・2002年3月発行)、「ドラえもん野比家の子育て論」(創芸社)など、30冊余り。

うち4冊は中国語にも翻訳出版されています。

「まなぶくん幼児教室」(学研)、「ハローワールド」(創刊企画・学研)などの無数の市販教材も手がけ、東洋医学、宗教論の著書も計8冊出版されています。

●教育評論家、現在浜松市伝馬町でBW教室主催。

●現在は、インターネットを中心に活動中。

メルマガ・オブ・ザ・イヤー受賞(08)、

電子マガジン読者数・計3000人(09)、ほか。

「BW公開教室」を、HP上にて、公開中。

(HPへは、「はやし浩司」で検索、「最前線の子育て論byはやし浩司」より。)

過去の代表的な著書

子育て格言ママ100賢1子育て格言ママ100賢子育て格言ママ100賢子育てはじめの一歩

子どもの心・100の育て方目で見る漢方診断クレヨンしんちゃん 野原家の子育て論子育てストレスが子どもをつぶす

ドラえもーん・野比家の子育て論 子育て最前線のあなたへ受験に克つ子育て法ポケモン・カルト―あなたの子どもがあぶない!

・・・などなど30冊余り出版されています。

はやし浩司先生のHP・ブログ

はやし浩司のホームページ はやし浩司先生のメインサイトです。
子育て・幼児教育など、先生が実践されてきた内容が凝縮されています。
きっと先生の優れた教育感、人間味溢れる魅力をお分かりいただけると思います。
はやし浩司の書籍 先生が執筆をした過去の原稿をダウンロードして読めます。

読者の相談ページや進学問題、パパママの子育て診断ページもあります。

最前線の子育て論byはやし浩司(メルマガ版) メルマガ版「最前線の子育て論byはやし浩司」は2007年10月、
60000誌の中で、TOP-ONEに評価され、2008年のメルマガオブザイヤーを受賞しています。

先生の素晴らしい教育・子育て論を見てみて下さい。

当サイトでも掲載させていただいている記事が盛りだくさんです。
最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe−Blog) 最前線の育児論のブログです。
子育てや教育について様々な視点・角度で執筆されています。

最前線の子育て論byはやし浩司 (ヤフーブログ) 最前線の子育て論(ヤフーブログ版)です。
教育に対して様々な情報を掲載しています。
主に先生の哲学者的な内容を見ることができます。
しかし、先生は博識ですね〜。
お孫様のかわいい画像と、日記、教育論を掲載しています。

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